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幼児虐待と「カラマーゾフ」 [書評]

 東大文学部主催の「カラマーゾフの兄弟」のシンポジウムを拝聴し、昔背負ったロシア者の刺青が再び疼き出した。(詳細は「TAO東大に行く(第一部・第二部)」参照)
 20歳になるかならないかといった年齢の時に一度読んだものの、その内容をまったくと言っていいほどど忘れしていたのを幸いに、再度、難攻不落の要塞に攻め入る決心をした。
 そう、「カラマーゾフの兄弟」の再読である。

        

 未だ2巻目の途中ではあるが、この作品の核となる『大審問官』と『ゾシマ長老の一代記』がこの巻には含まれていることを考えれば、たいへん重要な箇所に差し掛かっていると言える。

 そう思って読み始めようとした時、たまたまweb上で読んだ読売新聞に児童虐待で逮捕された親の記事を目にした。
 親による子供への虐待については、以前に「殺す親」のタイトルで記したが、悲惨な事件が後を絶たない現状を憂い、再度取り上げることにした。
 記事を紹介する。

 『小1長男の身体にろう100か所以上』

 小学1年の長男(7)にろうを垂らし、やけどを負わせたとして、北海道警苫小牧署は6日、苫小牧市の会社員○○○○容疑者(29)を傷害容疑で逮捕した。
 調べによると、○○容疑者は7月19日夜、自宅で長男を全裸にして、火を付けたろうそくのろうを腹や背中など100か所以上に垂らし、約3週間のけがを負わせた疑い。長男の顔には、たばこの火を押しつけた跡も2か所あった。○○疑者は「外に出て遊ぶなと言ったのに、約束を破ったから、しつけのつもりでやった」と供述しているという。
 同署は、古いやけどの跡があることや、5歳の長女の右手にもやけどの跡があることから、日常的に虐待していた疑いもあるとみて追及する。
 ○○容疑者は昨年1月、長男と長女を連れた母親と結婚し、同居を始めた。
 (2007年8月7日0時58分  読売新聞) ※容疑者名は自己削除

 ちょうど次兄イワンが、自らの宗教観を露にした物語詩『大審問官』を僧侶である弟のアリョーシャに聞かせる物語前半のクライマックス。しかし、そのクライマックスに突入する導入部として、『大審問官』を何故作らなければならなかったかの答えが、その前の「反逆」と名づけられた章に綴られている。

 それはくしくも、世界中で行われている親による子供達への虐待を嘆く文章だった。
 120年以上も前に書かれた文章が、時代を飛び越え、現代に直結しているのを、先に記した新聞記事を頭に入れ読み取って欲しい。
 以下、長くなるが、記す。

 「人類全体の苦しみについて話がしたかったが、子供の苦しみの話に絞ったほうがいい。
  おれはこう思うんだ。もし悪魔が存在しないなら、つまり、悪魔を人間が創ったんだとしたら、人間は悪魔を自分の姿に似せて創ったということさ。

 この場合、迫害者の心をかきたてるのは、なんといっても子どもという存在の持つ無防備さだし、どこにも逃げ場がない、だれにも頼れない子どもの天使みたいな信じやすさだ。そいつがまさに、虐待者の呪われた血を熱くする正体というわけさ。

 そんなわけで、5歳になるかわいそうな女の子を、教育ある両親がありとあらゆる虐待にさらすんだ。自分でもなぜかわからず、なぐったり、鞭うったり、足で蹴ったりして、全身を痣だらけにしてしまう。
 寒波のさなか、女の子はひと晩じゅう、トイレのなかに閉じ込められてしまった。そもそもその子が夜、うんちを知らせなかったという、それだけの理由さ。で、その罰として、女の子は顔中にうんちを塗りたくられたり、そのうんちを食べさせられたりするんだが、そうするのが母親なんだぞ。生みの母親がそうさせるんだ!
 おまえにこの意味がわかるか?自分が今どうなっているかろくにまだ判断できずにいる幼い子どもが、暗くて寒いトイレの中で、苦しみに破れんばかりの胸をそのちっちゃなこぶして叩いたり、目をまっかにさせ、誰を恨むでもなくおとなしく涙を流しながら、自分を守ってくださいと『神ちゃま』にお祈りしている。おまえにこんなばかげた話が理解できるか。
 大人なんてまるごと悪魔に食われちまうがいいんだよ。でもな、この子どもたちだけは、この子どもたちだけは! アリョーシャ・・・」(光文社古典新訳文庫「カラマーゾフの兄弟」より 訳/亀山郁夫)

 胸に詰まされる文章である。
 イワンは子どもの虐待を例に上げ、世の中の調和のための贖罪として、悪をも必要とされている現実に嫌悪感を露にする。それがキリスト、協会、大衆との関係を赤裸々に暴露する物語詩『大審問官』で爆発する!

 イワンは世界中の<ある種>の事件を掲載した新聞、書物のコレクターだとアリョーシャに話す。
 新聞に掲載された小1の男の子の話は、彼のコレクションの新たな1ページを飾ることになるのだろうか。
 そして彼ならこの悲惨な記事を読んで、きっとこう言うに違いない。

 「この男の子は、どんな思いで我慢していたと思う? 相手は親だ。それも性質の悪いことにこのごたいそうな親とやらは、自分が悪いことをしたなんて、これっぽっちも思ってやしない。
 言うに事欠いて<しつけ>だと。しつけってのはだな、正しいことを指し示して教えるものだ。けして身体に火傷するほど熱いロウソクなど垂らしてするものじゃない!そんなものを垂らして、いったい何がしつけられるっていうんだ!
 これは地獄だろう? その男の子にとってはまさに地獄そのものさ。こんな時、神様はどこにおいでになるっていうんだ? 戸棚の中か? トイレの中か? それとも台所か? どこにも居ないじゃないか! なあ、アリョーシャ、教えてくれ。どこにいる? たまたま散歩中だったのか? それとも昼寝の最中だったのか? 神はいない、いないんだよ! 本当にいないのかはわからない。でも、肝心な時にいなかったら、それはいないに等しいんだ! そうだろう、アリョーシャ! 答えてくれ! 
 神はいない。でも悪魔はいるんだ。そうさ、この男の子にとっては、この父親が悪魔なんだ! 父親だけじゃない、母親は? 母親はどうして助けない? 助けないってことは加担したも同じことさ。驚くじゃないか、悪魔は二人もいるのに、神は一人もいない。これをどう説明するんだ? お前は神に仕える僧侶だろう、ならば教えてくれ。この子がこんな惨い目に遭わなければならない理由を!」


タグ:ロシア文学
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コメント 2

昨日読ませて頂いて、内容的にnice!なんつって如何なものかと
迷っていたのですが、読み返してもやはり素晴らしい文章なので
再訪致しました。

うちは物凄い聞かん坊の怪獣なので、危ないことやいけないことを
言っても聞かない時に限り、鉄建制裁(おしりぺんぺん;笑)です。
言い聞かせているうちに取り返しのつかない事態になっても困るので・・・
心の中では常に葛藤(躾と虐待って紙一重だと思うし)があるのですが、
信頼出来る先輩ママさん(叔母の経営する店のパートさんで、親子くらい
年上の方々です)の助言と、自分の信念に従って日々行動しています。
人生で一番難しいのは、子育て、一番楽しいのも、子育てだなーと思います。
by (2007-08-13 01:42) 

TAO

この記事を読んだ時には腹立たしく、人間って、こうまで残酷になれる生き物なのだなと、改めて怖くなりました。
子供は親を選べない・・・まさにその通りです。
躾は必要です。そこが動物と人間の違いだから。時には手を上げることもあるでしょう。そのこと自体は否定しません。
子供は哀しいかな、ある年齢までは親に依存せざる得ません。それをいいことに、自分の欲求不満の捌け口にする父・母親がいるという現実。
そんな子供達を救済するシステムを確立し、学校の道徳の時間にでも、何かあったら、こういう方法で、ここに連絡しなさい、という具体的な知恵を授けるべきなのではないでしょうか。
by TAO (2007-08-13 21:20) 

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