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『写真とボク』(植田正治写真展) [アート]

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 前回に引き続き、埼玉県立近代美術館を訪れた。
 その時は『アンドリュー・ワイエス展』で、今回は植田正治の写真展である。

 植田正治という名前を耳にしても、
 「あ、あれね!」
 と即答出来る人は少ないだろう。しかし、彼の撮影した写真を見れば、
 「うん、知ってる!」
 と、たいがいは答えるのではなかろうか。
 砂丘をまるでカンバスに例え、写真でシュールリアリズム的な絵画を描いた作風は、唯一無二だ。

 今回の展示では、デビュー作から晩年の作品までを余すところなく紹介していて、とても好感の持てるものとなっている。
 当然、初期から順序立てて紹介されるわけだが、全体を通して眺めた時、改めて、この人は最初から最後まで、終始一貫して変わらないことが良く分かる。時代とともに変化してゆくのも才能なら、かたくなに変わらないのもまた才能なのだと、そんな思いを強くする。
 1930年代半ば~1980年代半ばまで、戦争を挟んで、日本の価値観は180度変換してゆく。にもかかわらず、撮られた作品に流れるポリシーはどれも不変であり普遍なのだ。これは実は物凄く大変なことに違いない。

 そんな植田の写真を眺めながら気がついたことが2つ。
 ひとつは、60年代後半から70年代全般にレコードジャケットをアートの域にまで高めたヒプノシスというデザイン・チームへの影響の大きさだ。代表作でもあるピンク・フロイド『炎(Wish You Were Here)』の裏ジャケなど、パクリと言い切ってしまってもかまわないほどそっくりなのだ。彼の写真はヨーロッパでも評価が高いので、絶対に見ているはずだ。
 ふたつめは、寺山修二の映画『田園に死す』の画面作りにその影響が見て取れる。砂漠を含む、日本的でありながら同時にどこにも属さない無国籍な雰囲気などまさに同じ臭いがする。
 それ以外にも、砂漠に配した人の作為的なポーズをモチーフにした写真、ミュージック・クリップ、CM等、調べたらきりがないほどだ。

 生涯、自分の好きなものしか撮らなかったと言われる植田。
 ≪寝ても覚めても写真のことばかり考えていた≫
 会場に掲げられた上記の言葉を、飾られた写真が証明している。

 
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