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ボブ・マーリィ詩集(番外編) [音楽]

 1981年5月11日、ボブ・マーリィ死す。
 本名ロバート・ネスタ・マーリィ。享年36歳。

 1976年にはジャマイカを二分する政党であるPNPとJLPとの対立に巻き込まれ、狙撃される。重症を負ったものの、一命は取りとめる。しかし自らの命が危険にさらされたことにより、イギリスへの亡命を余儀なくされる。
 それでもジャマイカを愛する気持ちは強く、1979年、今となっては伝説の「One Love Peace Concert」において、PNP、JLPの両代表を招待。最後にはステージ上に二人を招き、握手させる。
 嬉しそうに二人の手を掲げるボブ・マーリィの姿がそこにあった。
 平和を望む彼の想いが、政治的対立や個人的な憎悪を超え、ジャマイカに奇跡をもたらした一瞬だ。

 その後も優れたアルバムを発表するも、脳腫瘍のため死去。

 彼の死から14年後、生誕50周年企画の一端として、こんなアルバムが発売されたのをご存知だろうか?

           

 『I - THREE/song of BOB MARLEY』

 日本マーキュリーによる企画盤である。
 読んでおわかりのように、当時バック・コーラスとしてボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズと行動を共にしていた I - THREEの面々に彼の代表作を歌わせたものだ。

 I - THREEはリタ・マーリィ、マーシャ・グリフィス、ジュディ・モアットからなる女性3人のコーラス・グループ。だが、ただのバック・コーラスではない。リタはボブ・マーリィの奥さんだった女性。それを差し引いても、それぞれがジャマイカを代表する実力の持ち主だ。

 収録された曲は~Waiting In Vainka~Stir It Up~Could You Be Loved~Iron Lion Zion ~Buffalo Soldier~No Woman No Cry~Repemption Song~Is This Love~Get Up Stand Up~I shot The Sheriff~One Love~Three Little Birds~と続く。最後にこれらの曲の一部をメドレーとして再演、終わる。

 正直なところ、聴く前までは半信半疑だった。ボブ・マーリィという名前を利用したやっつけ仕事じゃないの? との疑問も拭えず、でも、もしかしたらまた違った角度から彼の歌の素晴らしさを再認識させられることになるかもとの期待もあり。

 購入後、恐々とプレイ・ボタンを押す。
 
 主(あるじ)は不在である。それは動かしがたい事実だ。
 しかし、逞しくて気立ての良い女達が、主不在の "我が家"をしっかりと守ってくれていた。
 
 " ボブは行ってしまった。
  それを嘆き哀しんだところでしかたがない。
  彼だってそんなことはきっと望んでないはず。
  彼の身体は失われてしまったけれど、彼の残した歌は、いつだって私達と共にあるの。
  まあ、気まぐれな彼のこと、ある日こっそりと帰ってきて、何事もなかったように、やあ、なんて挨
    拶するに違いないわ。"

 そんな女達の声が聞こえてきそうだ。

 <母なる大地>なる言葉が表すように、女は強いのだ。男なんかよりよっぽど。
 喜び哀しみ、すべてを受け止め、無償の大きな愛で包み込む。本来、この世の中のすべては女達のものなのだ。男達はそんな女の掌(てのひら)で、怒ったり、えばったりしている、なんとも愚かな存在でしかない。でも、女達はそれを理解していて、好きにさせているんだ。

 I - THREEの歌声は明るく生命力に満ちている。
 それを美しいと言わずして、なんと言おうか。


          
 


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コメント 2

素晴らしい語り口とレヴューに、ただただ感銘を受けました。
by (2007-06-25 02:31) 

TAO

彼の<リアル>な歌は、国境や民族、人種、言葉の壁をあっさりと飛び越えて、極東のちっぽけなこの国で暮らす、ボクやぞうに国のあるじさんのような者達にさえ、伝えられた。
彼の歌に影響を受けた我々は、いつしか子供を授かり、その子共達もやがて親になり、想いは受け継がれていく。
ずーっと、ずーっとね。
by TAO (2007-06-25 21:48) 

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