Brother Sun Sister Moon [音楽]
「Brother Sun Sister Moon」music by DONOVAN
ついこの間、意外なものをYouTubeで発見!
「Brother Sun Sister Moon」(1972)のサントラ。
これは「ロミオとジュリエット」(1968)を撮ったフランコ・ゼフィレッリ監督の次作で、聖フランチェスコに焦点を当てた作品。
映画は製品化されたものの、サントラは発売されず。 音楽をドノバンが手掛けているにもかかわらず。
どうやらそれなりの事情があったようで、イタリア版はドノバンが歌う曲が他の人に差し替えられてしまった云々・・・。
ドノバンファンからの商品化希望も実らず、はや数十年、宙に浮いていた。
それが、不完全な形ではあるものの、ドノバンのホームページから、ダウンロードのみで発売されたのが2004年。
たまたまそれを発見したってわけ。
ただし、正式なサントラではなく、ドノバンが自身の歌が使われているシーンのみを映画から切り取って1枚にしたといった代物。なので歌の背景に物音とかも収録されている。
本来は売るべきレベルに非ずなのだが、そうせざるを得ない苦渋の選択だったろうことは容易に察しがつく。
我々ファンにしてみれば、それでも商品化されていないお宝だったりする。
歌は保証付き。
しみじみさせられる。
今宵はアイリッシュで [音楽]
ごぶさたしていたら、いつの間にかブログデザインが微妙に変わっていたことに今気づいた。マイナーチェンジですな。
最近、月一更新ぽくなっていて、、、
アイリッシュには、どこか郷愁を呼び起こさせるものがあって、身体、いや、心が無条件に反応する。
この日の夜は、渋谷にあるアイリッシュパブに出掛け、ケルトミュージックの演奏を聴く。
店内の様子。実はここを訪れるのは2度目。壁にびっちりコースター。
演奏が始まる前に、まずは乾杯! ビールじゃないよ、エールだよ!
適度にアルコールが回ったところで演奏開始。
この日はフィドルとアイリッシュハープのデュオ。小型のハープの音色がいい感じ。
フィドルを演奏する女性は、楽しい曲が好きだと言っていたが、途中途中に挟まれるしっとりと落ちついた曲も良い。グリーンスリーブスなんて、本当、曲の良さもあり、とても美しい演奏だ。
途中、男性のダンサーが登場。アイリッシュダンスと言えば、女性が一列になって踊るシーンを思い浮かべるものの、もちろん男性だっている。1曲だけのスペシャルゲストだったが、みんな興味津々で見ていた。
休憩をはさんで後半。アルコール浸透度(?)もさらに増加。ますますいい感じ。
定番のフィッシュ&チップス。3種類の魚からタラとサーモンを選ぶ。もうひとつはカキのソーセージ。
最近、月一更新ぽくなっていて、、、
アイリッシュには、どこか郷愁を呼び起こさせるものがあって、身体、いや、心が無条件に反応する。
この日の夜は、渋谷にあるアイリッシュパブに出掛け、ケルトミュージックの演奏を聴く。
店内の様子。実はここを訪れるのは2度目。壁にびっちりコースター。
演奏が始まる前に、まずは乾杯! ビールじゃないよ、エールだよ!
適度にアルコールが回ったところで演奏開始。
この日はフィドルとアイリッシュハープのデュオ。小型のハープの音色がいい感じ。
フィドルを演奏する女性は、楽しい曲が好きだと言っていたが、途中途中に挟まれるしっとりと落ちついた曲も良い。グリーンスリーブスなんて、本当、曲の良さもあり、とても美しい演奏だ。
途中、男性のダンサーが登場。アイリッシュダンスと言えば、女性が一列になって踊るシーンを思い浮かべるものの、もちろん男性だっている。1曲だけのスペシャルゲストだったが、みんな興味津々で見ていた。
休憩をはさんで後半。アルコール浸透度(?)もさらに増加。ますますいい感じ。
定番のフィッシュ&チップス。3種類の魚からタラとサーモンを選ぶ。もうひとつはカキのソーセージ。
LOU REED IS DEAD [音楽]
ルー・リード死すのニュースを耳にして、やはり、胸にズシン! と、こたえた。
十代の青臭いガキだった頃、アンダーグラウンドや退廃的な文化に魅せられ、ベルベット・アンダーグラウンドにたどり着き、そこで奇妙な声で歌うルー・リードを知った。
それにしても「ヘロイン」の歌詞に驚かされ、ノイズまみれの「シスター・レイ」に頭をガツン! と、殴られたのが、まだそれほど昔だとは思えない。
ソロになってからも「トランスフォーマー」(性倒錯者)の中の一曲、「ワイルドサイドを歩け」に、アンダーグラウンドだっていいじゃないか、、、と、天邪鬼でひねくれ者だった当時のボク(今でも変わらないが)は、自分の主張が肯定されたような気になり、心の歌となった。
中でも「ベルリン」は、退廃的な都市で繰り広げられる、男と男と女の三角関係を描いて衝撃的だった。
一般的には失敗作と言われる「サリー・キャント・ダンス」だって、ファンキーでなかなか良いし、「コニーアイランド・ベイビー」に至っては、まるでウエストコースト風な音作りの裏で、やっぱり影のあるストーリーが語られたりして、ああ、ルー・リードだなと納得させられたものだ。
大音量ではない、キンキン声で歌わない、それでも、どこから見てもロックそのものなのは、彼の歌の中に、ロックの本質がとらえられているからなのだろう。
変態だっていいんだ!
いっそ、変態こそ素晴らしいと、思わせてくれた偉大なアーティストに感謝。
「ROCK'N ROLL HEART」はいつだって健在なり。
東京JAZZ 2013 [音楽]
街に音楽を!
心に音楽を!
世界に音楽を!
We are music lovers !!!
・・・なんて、どこかで目にしたような台詞だけれど、やっぱり音楽がなくっちゃね! とは、思う。でしょ?
そんな音楽好きが集まる「東京JAZZ 2003」は、9月6日(金)~8日(日)の3日間、有楽町国際フォーラムで開催された。
このイベントの良いところは、ホールでのライブの充実と同時に、無料ライブも併せて開催するところだ。
ちなみにホールに出演するのは、トニー・ベネット、リー・コニッツ、マンハッタン・トランスファー、チック・コリア、ラリー・カールトン、デビッド・サンボーン、スティーブ・ガット、ボブ・ジェームスで、まさに70年代のJAZZ&CRSSOVERの立役者を揃えも揃えたり! といったラインナップが胸躍る。
それに加え、な、なんと、ホール&オーツのジョン・オーツも参戦!! さらにさらに、日本からはジャズ・アルバムもリリースした矢代亜紀も歌うとは、まさにバトル・ロイヤル状態か !?
一方、無料ライブの方は、日本ではなかなか商業ベースに乗せづらいアーティストを揃えていて、これはこれで興味が尽きない。
ボクが出かけたのは、7日(土)の2時過ぎ。3時に昨日に飲んだ人と待ち合わせをしたので、まあ、いつものように早くやってきたのだった。
しかし、3時になっても現れず。携帯に連絡をしたら、寝坊(昼寝)したので、これから行くと。
まあ、特に急ぎの用事があるわけでもなし、それならばと、会場を見てまわることにする。
気取らずに、それぞれがそれぞれの聴き方で聴く。当たり前のことなのに、なぜか忘れがちになってしまうのはどうしてだろう?
ふらっと立ち寄った人、移動中にちょっとだけ足を止めた人、一瞬かもしれないが、音楽を通して、人と人が交叉する。それってなんかいいよね。
おっと、こんなイベントにはやっぱり屋台はつきもの。
ニューヨーク・スタイルのホットドッグが売りのお店でオーダー。ピクルスとオニオンは自分でトッピング。そこに大きな容器に入ったケチャップとマスタードをブニッ! と一押し。
新婚旅行でニューヨークに行き、5番街で気取ってホットドッグを食べた懐かしき日を想い出した。
ここは缶バッジ型のMP3プレイヤー(JAZZのスタンダードの曲が収録済)を売っていた。
おっと、肝心の音楽のことも紹介しておかなくちゃね。
サックスとバイオリンの競演。男はイケメン、女は美女、JAZZって格好いいなとか、単純に思えてくる。
ボサノバの軽やかな歌声が、午後の日差しに揺れている。都会の中のオアシス。
楽器初心者&素人にも、こんな楽しいイベントあり。ちゃんと鳴らせるかな?
メインのステージは残念ながら写真撮影が許可されていなくて、ここには載せられないが、先に紹介したボサ・ノバのダニ・アンド・ デボラ・グルジェル・ クアルテート(ブラジル)、アニメーションのサントラを演奏するノイズ系アンビエント(そんなのないか!)ピョートル・ダマシェヴィッチ/ ゲラルド・レビック (ポーランド)、お揃いの青いブレザーが今時キモイ、変態ブラスバンドのルチン・マセツキ – ポロネーゼ (ポーランド)の3組の演奏を観た。ポーランド恐るべしを強く印象付けられたライブ・パフォーマンスに苦笑いが・・・。
最後に、やっぱり主役はお客さんを印象付ける3枚を。
どうです、ほのぼのしてしまうでしょ?
ガラスCDの視聴会で聴き比べ [音楽]
9月5日(木)、四谷のジャズ喫茶いーぐるで、ちょっと変わったイベントが開催された。
簡単に言うとジャズの視聴会なのだが、アナログレコードやCDではなくて、クリスタルディスクを用いた視聴会なのだ。
クリスタルディスクってなんですか?
と、普通の方は首を傾げるに違いない。
クリスタル=ガラス。そう、ガラスで出来たCDなのだ。
開発は2006年に実用化され、2007年には、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏によるベートーヴェンの交響曲第9番が発売されている。
驚くのは価格で、なんと1枚20万円!!!
完全な受注生産である。
そもそもガラスのCDは、音の検査用として昔から存在していたのだが、それはあくまで製造過程の中で用いられていたもので、市販品としての考えはなかった。
そこを発想の転換と言おうか、オーディオマニアが自身のステレオ・セットに凝るように、音を鳴らす装置ではなく、音源そのものを追及したらどうなるのかと、突き詰めていった結果の産物なのだった。
昨今、リマスターやらハイスペックCDが普通に発売されている中、究極の真打登場といったところだろうか。
ジャズ喫茶いーぐるへ続く階段。場所は四谷駅から新宿通りを新宿方面に歩いて3~4分。いかにもな雰囲気。
入口で本日の演奏目録をもらい、席へ。さて、どんな音が聴こえてくるのか、わくわく。
視聴に選ばれたのは全部で7曲。
1)ハンクジョーンズ ジャム・アット・ベイシー
2)ウォルター・ラング・トリオ サウンド・オブ・レインボー
3)シャンティ ボーン・トゥ・シング
4)ヒップス Chaotic Planet
5)ブルー・スエット カーティス・フラー
6)ジョン・コルトレーン バラード
7)ボブ・ジェームス アローン・カレイドスコープ・バイ・ソロ・アルバム
まず最初に通常のCDを、次にクリスタルCDをかける。
JBLのドでかいスピーカーから流れる音は、やはり家庭で鳴らすのと違い、バツグンに音が良い。
それでも聴き比べてみると、
①ノイズが消え、
②音の輪郭と響きが一音一音クリアに、前に出てくる
③バックにまわった時のピアノの音の存在がしっかり感じ取れる
④管楽器は息を吹き込む息づかいがわかる
⑤ボーカルは生で目の前で歌っているように聞こえる
だいたいこんな感じ。
スタジオで録られたばっかりの音を聴いているような、と言えば分かりやすいだろうか。
現在は製造技術も向上し、20万円から5万円まで価格を抑えることに成功。
廃盤をしゃかりきになって探して、高価な価格で購入するのと同じように、究極のMY CD として、オーディオ・マニアなら手に入れてみたいと思うのではないだろうか。
簡単に言うとジャズの視聴会なのだが、アナログレコードやCDではなくて、クリスタルディスクを用いた視聴会なのだ。
クリスタルディスクってなんですか?
と、普通の方は首を傾げるに違いない。
クリスタル=ガラス。そう、ガラスで出来たCDなのだ。
開発は2006年に実用化され、2007年には、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏によるベートーヴェンの交響曲第9番が発売されている。
驚くのは価格で、なんと1枚20万円!!!
完全な受注生産である。
そもそもガラスのCDは、音の検査用として昔から存在していたのだが、それはあくまで製造過程の中で用いられていたもので、市販品としての考えはなかった。
そこを発想の転換と言おうか、オーディオマニアが自身のステレオ・セットに凝るように、音を鳴らす装置ではなく、音源そのものを追及したらどうなるのかと、突き詰めていった結果の産物なのだった。
昨今、リマスターやらハイスペックCDが普通に発売されている中、究極の真打登場といったところだろうか。
ジャズ喫茶いーぐるへ続く階段。場所は四谷駅から新宿通りを新宿方面に歩いて3~4分。いかにもな雰囲気。
入口で本日の演奏目録をもらい、席へ。さて、どんな音が聴こえてくるのか、わくわく。
視聴に選ばれたのは全部で7曲。
1)ハンクジョーンズ ジャム・アット・ベイシー
2)ウォルター・ラング・トリオ サウンド・オブ・レインボー
3)シャンティ ボーン・トゥ・シング
4)ヒップス Chaotic Planet
5)ブルー・スエット カーティス・フラー
6)ジョン・コルトレーン バラード
7)ボブ・ジェームス アローン・カレイドスコープ・バイ・ソロ・アルバム
まず最初に通常のCDを、次にクリスタルCDをかける。
JBLのドでかいスピーカーから流れる音は、やはり家庭で鳴らすのと違い、バツグンに音が良い。
それでも聴き比べてみると、
①ノイズが消え、
②音の輪郭と響きが一音一音クリアに、前に出てくる
③バックにまわった時のピアノの音の存在がしっかり感じ取れる
④管楽器は息を吹き込む息づかいがわかる
⑤ボーカルは生で目の前で歌っているように聞こえる
だいたいこんな感じ。
スタジオで録られたばっかりの音を聴いているような、と言えば分かりやすいだろうか。
現在は製造技術も向上し、20万円から5万円まで価格を抑えることに成功。
廃盤をしゃかりきになって探して、高価な価格で購入するのと同じように、究極のMY CD として、オーディオ・マニアなら手に入れてみたいと思うのではないだろうか。
ラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ [音楽]
池袋の芸術劇場で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴き、
「う~ん、なんかちょっと違うなあ・・・」
と、違和感を抱えていたところに、作曲者自身が演奏したCDがあるというので、貸してもらった。
ラフマニノフという人は、作曲もそうなのだが、もともとピアニストとしてもとても優れた人だったらしい。
借りたCDは、驚くなかれ、1929年録音!!!
戦前のシャンソンの録音はずっと昔にLPで持っていたことがあったが、これはそれよりも古い。
録音の元祖はエジソンだっけ?
でも、それ何年のこと?
たぶん、1800年代の後半だったよねえ・・・なんて、まるで歴史の教科書の復習みたいだぞ。
指揮はストコフスキー。偉大なる指揮者として名前は知っているが、聴くのはこれが初めて。
そして、オケがフィラデルフィア管弦楽団。名門。
さて、作曲者自身が演奏するピアノ交響曲第二番は・・・
さすがに今の耳で聴くと、録音の古さは否めないものの、想像していたほど悪くはない。
けっこう聴けるじゃん! と、感心することしきり。
ゴルゴ13ばりの、力強く、冷徹で、まるで鉛の塊のような強靭さ!
しかし、だからといって、歌っていないわけではない。歌心はちゃんとある。
もともと、哀愁を帯びたメロディが豊富な曲なので、華麗な指使いが多用されたりすると、ちょっとロマンティックな雰囲気になるのだが、そこを必要以上に甘くさせず、コーヒーはブラック、砂糖、ミルクなしで!
映画音楽にも使われたくらいだから、耳になじみやすいメロディの宝庫。
だから人気があるのだが、一般受けするからという理由で、大甘のトロトロに弾いては興ざめ。
男は黙って、
「俺の後ろに立つな・・・」(by デューク・東郷=ゴルゴ13)
なのだ。
チャイコフスキーでもいかが? [音楽]
さてさて、「タイ・フェス2003」→「明治神宮」→と流れて、でも、まだ12時だったりするこの日。
一日は長いぞ!!!
っていうのは良いことで、出来れば一日28時間くらいあると楽しいと思うんだけど。ダメかな?
で、次に向かった先は、、、池袋。
ここで何があるかというと、池袋芸術劇場で読売日本交響楽団の演奏会があるのでした。
それも、出し物が、「ラフマニノフのピアノ協奏曲」と「チャイコフスキーの悲愴」。
こりゃあ、こてこてのロシアン・プログラムじゃあないですか!!!
日頃、ロシア好き(ドストエフスキー、好きですが)を自認する身としては、う~ん、たまりません! の、プログラムで。
初めてのお使いならぬ、初めての読響のお供は、ときどき登場する、俗称、「和服の美女」と勝手に命名した方。さすがにいつもいつも和服というわけにもゆかず、この日はお洒落した洋装ですが。
2時始まりなので、1時半にロビーで待ち合わせ。すでにけっこうな人の数で、そういえばこの下では天海祐希が急遽降板したことでワイドショーを賑わせた野田秀樹と三谷幸喜共作の芝居「おのれナポレオン」を上演している劇場で、こちらも開場前なのか、人だかりが出来ておりました。
開演前に、軽くワインでも飲んで(すでにタイ・フェスでビールを飲んではいたが)リラックスし、演奏を待つのだった。
前半は、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。ピアノ協奏曲としては、哀愁を帯びたメロディが人気を呼び、とみに日本では人気の高い曲だ。
指揮はロシア人のユーリ・テルミカーノフ。そしてピアノは河村尚子(かわむらひさこ)。
メロディ重視のロマンティック路線でゆくのか、それとも地味めにいぶし銀的旨味抽出路線なのか?
などと、勝手に予想していたら、どちらも当てはまらず。演奏でのアクセントのつけ方が独特で、くさやの干物演奏(?)だった。少なくともいかにも女性らしい、耳触りの良い、なごみ系ではなかったのだけは確か。
休憩をはさんで第2部は、チャイコフスキーの交響曲第6番<悲愴>。
ボクが一番最初に聴いたのがドボルザークの第9交響曲<新世界>で、その次がこの<悲愴>だったので、感慨もひとしお。
さて、その演奏はいかに???
と、期待を込めて聴いたら、これが、いかにもロシア! って雰囲気プンプンの大迫力の演奏だったので、えらく感激した。
オープニングの暗いメロディから、まるで雪深いロシアの大地を思い起こさせるような感じで、思わず引き込まれ、第3楽章では、哀愁、それも泥臭さたっぷりで、歌う、歌う。これ、これがロシアものの良さなのよ~とか、勝手に納得してしまった。
演奏が終わったのが4時半頃。池袋の西口を徘徊し、5時前でも酒の飲める店を探し、乾杯とあいなったのでした。
一日は長いぞ!!!
っていうのは良いことで、出来れば一日28時間くらいあると楽しいと思うんだけど。ダメかな?
で、次に向かった先は、、、池袋。
ここで何があるかというと、池袋芸術劇場で読売日本交響楽団の演奏会があるのでした。
それも、出し物が、「ラフマニノフのピアノ協奏曲」と「チャイコフスキーの悲愴」。
こりゃあ、こてこてのロシアン・プログラムじゃあないですか!!!
日頃、ロシア好き(ドストエフスキー、好きですが)を自認する身としては、う~ん、たまりません! の、プログラムで。
初めてのお使いならぬ、初めての読響のお供は、ときどき登場する、俗称、「和服の美女」と勝手に命名した方。さすがにいつもいつも和服というわけにもゆかず、この日はお洒落した洋装ですが。
2時始まりなので、1時半にロビーで待ち合わせ。すでにけっこうな人の数で、そういえばこの下では天海祐希が急遽降板したことでワイドショーを賑わせた野田秀樹と三谷幸喜共作の芝居「おのれナポレオン」を上演している劇場で、こちらも開場前なのか、人だかりが出来ておりました。
開演前に、軽くワインでも飲んで(すでにタイ・フェスでビールを飲んではいたが)リラックスし、演奏を待つのだった。
前半は、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。ピアノ協奏曲としては、哀愁を帯びたメロディが人気を呼び、とみに日本では人気の高い曲だ。
指揮はロシア人のユーリ・テルミカーノフ。そしてピアノは河村尚子(かわむらひさこ)。
メロディ重視のロマンティック路線でゆくのか、それとも地味めにいぶし銀的旨味抽出路線なのか?
などと、勝手に予想していたら、どちらも当てはまらず。演奏でのアクセントのつけ方が独特で、くさやの干物演奏(?)だった。少なくともいかにも女性らしい、耳触りの良い、なごみ系ではなかったのだけは確か。
休憩をはさんで第2部は、チャイコフスキーの交響曲第6番<悲愴>。
ボクが一番最初に聴いたのがドボルザークの第9交響曲<新世界>で、その次がこの<悲愴>だったので、感慨もひとしお。
さて、その演奏はいかに???
と、期待を込めて聴いたら、これが、いかにもロシア! って雰囲気プンプンの大迫力の演奏だったので、えらく感激した。
オープニングの暗いメロディから、まるで雪深いロシアの大地を思い起こさせるような感じで、思わず引き込まれ、第3楽章では、哀愁、それも泥臭さたっぷりで、歌う、歌う。これ、これがロシアものの良さなのよ~とか、勝手に納得してしまった。
演奏が終わったのが4時半頃。池袋の西口を徘徊し、5時前でも酒の飲める店を探し、乾杯とあいなったのでした。
ロドリーゴ&ガブリエラ Live in Japan [音楽]
<1月の回想>
正月早々、プロレス。
そして新年始まり最初の3連休は、このロドリーゴ&ガブリエラの熱いライブで!!
1月10日(日)、渋谷オーチャードホール。
新作の発売に合わせるタイミングでのジャパン・ツアー。
でも、祭日なのに開始がPM6:00~ってのもちょっと驚きといえば驚き。普通PM3:00くらいでしょうに。
「Live in Japan」としてCDも発売になっているので、彼らはここ日本でも人気者。ちょうど新作の発売に合わせての来日ということで、こりゃあ、やっぱり燃えるぜ!!
時間キッカリに場内が暗転し、ロドリーゴ&ガブリエラ登場。
その最初の一音で、ぶっ飛んだ!
な、なんですか~、この音は !?
まるでデス・メタルもかくありき的な、ノイジー音の炸裂!!
そういえば開場前に盛んに流れていたBGMは、彼らの新作だったんですね。なんでメタルとか流してんのかなあ・・・と、不思議に思っていたので、なるほど、と、納得。
それにしても、ロドリーゴの、アコギでメタルかよ~、と、その分厚い音の塊にびっくり。
それに加えて、ガブリエラの、ギターのボディをバンバン叩きながらのパーカッション奏法にも驚かされる。メキシコ系なので、見た目は小柄なこの姐さん、まったくもって侮(あなど)れませんて。
前半は新作からの演奏。
途中、キーボーディストのアレックスおじさんが登場して、ラテン・ミュージックの神髄を披露しながらのトリオでの演奏もステキでした。
で、後半は、もうノリノリの大熱演大会!!!
観客もオール・スタンディングで、正月早々、額に汗・・・・・・。
発汗作用、120%
野菜、増し増し、背脂コッテリの、まるで、ラーメン二郎状態となったのでありました。
疲れた~~~!
※ ライブが終わった帰りに、たまたまオーチャードホールの通りを隔てたビルにあった、エジプト料理屋「ルクソール」へ突入。
モロヘイヤスープは予想以上に美味しかったぞ。ラクダの肉の串焼きもあったけど、ちょっと高くて手が出なかった。
ちなみにこの日一緒にライブへ行ったのは、海外旅行&エスニック料理好きの会社の同僚の女性。この手のものにアンテナを張ってるのって、なぜか、たいがい女性なんだよね。
ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー(サントラ) [音楽]
『ローッキー・ホラー・ピクチャー・ショー』(1975)は、これまでに制作された全ミュージカル映画の中でも異端中の異端。しかし、それゆえにとんでもない傑作。
『ヘヤー』(1979)
『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)
『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)
『トミー』(1975)
※( )中は、それぞれ映画化された年。
とともに、『ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショウ』は、ロックがまだカウンター・カルチャーとして機能していた時代に生み落され、B級SF映画へのオマージュ、ロックン・ロールへの溢れる愛情をたっぷりと盛り込んだ作品であり、イギリスの舞台で生を受け、やがてL.Aのロキシーへ。そこでも大盛況、満を持しての映画化は、キッチュなテイストはそのまま、スクリーンに向かって観客が一緒に歌って踊れるカルト映画となった。
当時ワタクシも渋谷の映画館に足を運び、スクリーンに向けて、100円ライターをかざしたり、新聞紙を頭にかぶったりという観客のリアクションを初めて目にして、びっくりしたものだ。
実は最初に購入したのはオリジナル・ロンドン・キャスト盤で、なぜかというと、日本でも舞台を上演することになり(それも海の向こうのキャストのまんまで!)、その時に紹介されたのが、ロンドン・キャスト盤だったからだ。
それから数年が経ち、待望の映画化のサントラが この『ローッキー・ホラー・ピクチャー・ショー』。
映画は何度も観ているので、曲の感じは熟知しているはずなのに、映画としてではなく、サントラとして数十年ぶりに聴くと、案外、あれ? って箇所があったり。
あなたの映画ベスト1は?
とか問われたら、実はこの作品かも・・・・・・とか、思う。
それくらい楽しくて、でも、切なくて、笑いながら、つい、泣けてしまう映画なんて、他にないもの!
クライマックスでティム・カーリーの歌う、"Don't dream it, Be it ・・・" のフレーズを耳にするたびに、、、くう~っ、って気持ちにさせられる。
新婚カップルのブラッド&ジャネット以外は、登場人物がみな異端なのも強烈で、特にフランケン・フルター役のティム・カーリーの性倒錯者ぶりは素晴らしい!! あの、眉の動きだけで失禁しますから(笑)
こちらがオリジナル・ロンドン・キャスト盤。チープな音が雰囲気ありありでたまりません!
いっぽう、こちらが映画のサントラ盤。
※ちなみに、オリジナル・ロキシー・キャスト盤もあり、音がアメリカ向けに厚くなっている。
『ヘヤー』(1979)
『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)
『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)
『トミー』(1975)
※( )中は、それぞれ映画化された年。
とともに、『ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショウ』は、ロックがまだカウンター・カルチャーとして機能していた時代に生み落され、B級SF映画へのオマージュ、ロックン・ロールへの溢れる愛情をたっぷりと盛り込んだ作品であり、イギリスの舞台で生を受け、やがてL.Aのロキシーへ。そこでも大盛況、満を持しての映画化は、キッチュなテイストはそのまま、スクリーンに向かって観客が一緒に歌って踊れるカルト映画となった。
当時ワタクシも渋谷の映画館に足を運び、スクリーンに向けて、100円ライターをかざしたり、新聞紙を頭にかぶったりという観客のリアクションを初めて目にして、びっくりしたものだ。
実は最初に購入したのはオリジナル・ロンドン・キャスト盤で、なぜかというと、日本でも舞台を上演することになり(それも海の向こうのキャストのまんまで!)、その時に紹介されたのが、ロンドン・キャスト盤だったからだ。
それから数年が経ち、待望の映画化のサントラが この『ローッキー・ホラー・ピクチャー・ショー』。
映画は何度も観ているので、曲の感じは熟知しているはずなのに、映画としてではなく、サントラとして数十年ぶりに聴くと、案外、あれ? って箇所があったり。
あなたの映画ベスト1は?
とか問われたら、実はこの作品かも・・・・・・とか、思う。
それくらい楽しくて、でも、切なくて、笑いながら、つい、泣けてしまう映画なんて、他にないもの!
クライマックスでティム・カーリーの歌う、"Don't dream it, Be it ・・・" のフレーズを耳にするたびに、、、くう~っ、って気持ちにさせられる。
新婚カップルのブラッド&ジャネット以外は、登場人物がみな異端なのも強烈で、特にフランケン・フルター役のティム・カーリーの性倒錯者ぶりは素晴らしい!! あの、眉の動きだけで失禁しますから(笑)
こちらがオリジナル・ロンドン・キャスト盤。チープな音が雰囲気ありありでたまりません!
いっぽう、こちらが映画のサントラ盤。
※ちなみに、オリジナル・ロキシー・キャスト盤もあり、音がアメリカ向けに厚くなっている。
『死の舞踏/ルー・リード』 [音楽]
『死の舞踏(Sally Can't Dance)/Lou Reed』(1974)
フランク・ザッパだけは日本盤を買え!
これは昔、ロックフリークたちにとっては、不文律と化した言葉だった。
なぜ日本盤なのか?
それはライナーノートがめちゃくちゃ面白いから。
それを読むだけで輸入盤よりも高い日本盤を買う価値があったから。
八木康夫氏のイラストと解説のぶっ飛び具合がハンパじゃなかったのだ。
だいいち、邦題からして破天荒だ。
「ONE SIZE FITS ALL」⇒「万物同サイズの法則」
「WEASELS RIPPED MY FLESH」⇒「くたばれイタチ野郎」
なんて最高だし、そもそもザッパの曲のタイトル自体が反則技のオンパレードだったりするんだけどね。
で、ここで紹介するのはザッパ、、、じゃなくて、ルー・リード。
じゃあ、なんでこんな話を最初に持ってきたかというと、中古で購入した『死の舞踏(Sally Can't Dance/Lou Reed』(日本盤)の解説があまりにおそまつだったため。個人的な思い入れ以外、まったく読むに値しないライナーノーツ、邦訳なしでは、ただでさえ高い日本盤を購入する意味なんてないだろうに。
★ ★ ★ ★
前置きが長くなったが、この『死の舞踏(Sally Can't Dance』(1974)は、ルー・リードのソロとしての4作目に当たる。
◆ベルベット・アンダーグラウンド脱退後、本来ならベルベット用に書いていた曲を含む『ロックの幻想(LOU REED)』(1972)。
◆デビッド・ボウイのバックバンドである、スパイダー・オブ・マーズのギタリスト、ミック・ロンソンの手を借りた耽美的退廃の宴、『トランスフォーマー』(1972)。
◆ボブ・エズリンがプロデュースして、ベルリンの街で繰り広げられる男と女、そしてもう一人の男の三角関係をロック・オペラとして描いた『ベルリン』(1973)。
この3作で、ベルベット・アンダーグラウンド時代からルーリードの代名詞だった、ドラッグ、同性愛、都市生活者の暗部といったものを、一通り吐きだしたと思う。どの作品も商業的に成功とはいかなかったようだが、クオリティはどれもかなり高かった。個人的には「ワイルドサイドを歩け」を収録した『トランスフォーマー』よりも、デカダンの匂いをプンプン振りまく『ベルリン』が彼の最高傑作だと思う。
とはいえ、そうそう<退廃><性倒錯者><ドラッグ>だのと歌っていたのでは、正直、歌う方も聴く方もしんどくなってくる。
時はディスコブーム。ちょっとばかし肩の力を抜いて、ラフでダルでファンキーなロックンロールをやりたくなったとしても、間違ってはいないだろう(あいかわらず売れないし・・・)。
かくして、ブラスセクションと女性コーラスを全編にフィーチャーし、ニューヨークの裏通りをスケッチしたような『死の舞踏』が完成したのだった。
オープニングの「Ride Sally Ride」では、前作『ベルリン』の2曲目「Lady Day」を彷彿させる、場末のしがない店の踊子の様子が描かれる。想像するにトップレス・バーのようないかがわしい店のようだ。
その曲と呼応するのが7曲目「Sally Can't Dance」で、踊れなくなったサリーがそこにいる。
それ以外にも、「Kill Your Sons」とか、生々しいタイトルの歌もあり、ストーリーテラー、ルー・リード健在を印象付けたりもする。
で、やっぱりこの作品もヒットせず。頭にきたのか、自爆したのか、次作は狂気のノイズだらけの音の塊がさく裂する『Metal Machine Music』(1975)を発表し、音楽業界を混沌の渦に巻き込む。ちなみに業界紙では、、、評価不能!!!
後日、「あれは冗談だった・・・」と、雑誌のインタビュアーに語っていたっけ。
実はけっこう食えないオヤジなのである(笑)
「I'll Have To Say I Love You In A Song」(ジム・クロウチ) [音楽]
感謝の気持ちってのは、なかなか形に表しづらいものだったりする。
それが特に夫婦間の間ではなおさらのこと。
フランス人、イタリア人あたりを見ると、そんなことなさそうだけれど、アメリカ人とかはどうなんだろう?
自分の感情、思いを伝えるのがヘタなのは、なにも日本人だけではないんじゃないかと思う。
なぜなら、ボクの大好きなJIM CROCE(ジム・クロウチ)という人の曲を聴くたびに、生きるのに不器用な男の心情がリアルに表現されていると、いつも感心させられるから。
ジム・クロウチは70年代に活躍したアメリカのシンガーソングライターで、土の臭いと、都市部ではなく、田舎町で生活する一市民たちの暮らしや想いを歌った名歌手だ。
デビューは1960年代半ば。奥さんのイングリッドとのおしどり夫婦としてレコードを発表するも、まったく売れず。一時はそのため廃業し、トラックの運転手とかしていたらしい。
70年代初頭に、たまたま彼の曲がドラマの挿入歌に起用されたことから「Time In A Bottle」が大ヒット。今度はツアーにつぐツアーで休む間もなくアメリカ中を移動、その途中で飛行機が墜落し、死亡。
ボクが彼の歌を最初に耳にしたのはラジオからで、「Time In A Bottle」が流れた瞬間、周りの空気が一変したのを覚えている。素朴な語り口と憂いを帯びたメロディーが琴線に触れるのだ。
そんな彼が残した一曲に、「I'll Have To Say I Love You In A Song」がある。
武骨な男が、自分の奥さんに面と向かって「愛してる」と言えないはがゆい想い、それを歌に託して伝えようとする内容は、I Love Youを半ば習慣的に使っているアメリカであっても、心からの想いはなかなか口に出して言えないものなんだなあ・・・と、教えてくれるようだ。当たり前だが、アメリカ人にだってシャイな人はたくさんいるのだ。それが日本人だったりすれば、なおさら、、、ねえ。
そんな男心を飾らない言葉でトツトツと歌う。
「I'll Have To Say I Love You In A Song」
もう夜も遅いってことはわかってる
君を起こしたくないしね
でも、言わずにはいられないんだ
君がわかってくれてることは知ってるさ
いつだって君に言おうとするんだけど
言葉が上手く出てこないんだ
だから、この歌に託して君を愛してるって言わなくちゃ
君のそばにいると
なんか落ち着かないんだ
言うべき言葉がどこかに行ってしまう
君がわかってくれてることは知ってるさ
いつだって君に言おうとするんだけど
言葉が上手く出てこないんだ
だから、この歌に託して君を愛してるって言わなくちゃ
いつだって、今がその時だって思うのに
言うべき言葉がどこかに行ってしまう
だから、この歌に託して君を愛してるって言わなくちゃ (訳 TAO)
ジム・クロウチが亡くなった後は、奥さんのイングリッドが彼の楽曲をしっかり管理しているそうだ。
生前、ジム・クロウチ単独名義で発表したのはわずか50数曲。そのどれもが珠玉と言える素晴らしいものばかりだ。つまらない曲が1曲もないのは、まさに驚嘆に値すると思う。
http://www.youtube.com/watch?v=jB6BE7HoE7I&feature=related
『銀河系よりの使者』(T.REX) [音楽]
『銀河系よりの使者/T.REX』(1976)
今から思えば、T.REXの音楽的黄金期は、『電気の武者』(1971)~『スライダー』(1972)のわずか2、3年。
その後発売された『タンク』(1973)では、あれほどキラキラと輝いていたボランズ・ブギーがマンネリ化してしまい、急激に魅力を失ったことを図らずも証明してしまった凡作。それでも次作『ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー』(1974)でティーンのアイドルだけじゃないところを披露。しかし、ボラン流ブラック・ミュージックを実践した傑作だったにもかかわらず、セールス的には振るわなかった。
それを反省してか、『ブギーのアイドル』(1975)では、グラマラスなストリングスを排し、バンドっぽさを強調して新生面を打ち出す。、楽曲は充実していたものの、すでに時代からは完全に置いて行かれた人となってしまっていた。
この『銀河系からの使者』(1976)は、そんな低迷期に発表され、過去のファンにもほとんど無視された悲劇の一作だ。
そもそもなんで今更ドラゴンに乗ってファンタジーごっこをしなければいけないのか? 多分、当時、リアルタイムでこのアルバムと接した人の多くがそんな意見だったはずだ。で、肝心の音は、、、これがもうヤケクソとしか思えない、コテコテのグラマラスさ。過剰なストリングス、やり過ぎのコーラス。曲はつまらなくはないが、シングルヒットするような決定打がない。
ボクもこのアルバムだけはずーっと無視してきた。それでも他のアルバムをせこせこと中古で揃えるうちに、これだけ残ってしまい、さすがにそこまで無視も可愛そうだよなと、一念発起して購入(とは言っても1000円しなかったけれど)。それでも予想していたほど悪くはなかったので、ホッと一安心する。でも、殿(ボラン)ご乱心!!! という感想は拭えなかったけれど。
30歳までに自分は死ぬだろうと予言し、30歳を目の前にして事故死してしまったボラン。
まさしく彗星のごとく、キラリと一瞬の輝きを残して彼方の旅立って行った彼のことを、「Wizard」に違いないと信じているボクは、なんだかんだ言いながら、T.REX好きなのだった。
『kuniko plays reich』(加藤訓子) [音楽]
吉祥寺シアターのライブが予想以上に良かったため、公演後にその場でCDを購入した。
この作品は今回のライブの内容とは関係ないのだが、ジャケットが気に入ったのと、スティーブ・ライヒの作品を演奏しているので欲しくなってしまい、勢いに任せてエイッとばかりにサイフのヒモを緩めてしまったのだった。
ご覧になればお分かりのように、彼女の先鋭的な部分が良く表現された素晴らしいジャケット写真なのだ。
ああ、女好きの血が騒ぐ。ピクン、ピクン!
内容は、、、と言う前に、そもそもスティーブ・ライヒとはなんぞや??? を押さえておかないといけません。
スティーブ・ライヒとは、ミニマル・ミュージックの作曲家なのだ。で、ミニマル・ミュージックとは、同じフレーズを反復させることにより、意識の揺れを引き起こすことを目的とした音楽のこと。その起源は民族音楽であり、たとえば、バリ島のケチャとかを思い浮かべていただければお分かりになると思う。
だから、基本的に一曲が長い。意識を覚醒させるには長くないとならないし、アメリカ映画のように、山あり谷ありのジェットコースタームービーとは対極な、曲の構成上、あまり大きな変化はない。だから人によっては退屈と感じたりもする。
しかし、よーく感覚を研ぎ澄ませて聴けば、微妙な変化の中に、無限の可能性を秘めていることが分かる。ちょっと大げさだが。
このCDには3曲を収録。
タイトルにplays reichとあるように、すべてスティーブ・ライヒの作品だ。
加藤訓子はマリンバやビブラフォン等を駆使し、打楽器でなければ描けない独特な響きを聴かせてくれる。
まるで図面の上に精密に引かれた設計図のように、音のすみずみまできちんと計算されたそれは、機械的にも思える半面、人の関与なしでは作り得ないものなのだろう。
それにしても正確無比なテクニックは驚嘆に値するに違いない。そして、いつしか聴き手を瞑想の世界に導くような心地良い空間が広がるのだ。ボクらはただただそこに身を浸し、インナー・トリップを体験すればいい。
『BEAUTIFUL BALLADS/THE ISLEY BROTHERS』 [音楽]
『BEAUTIFUL BALLADS/THE ISLEY BROTHERS』
中古で500円とは、まさに拾い物。確かにオリジナル・アルバムじゃないし、正直、聞いたこともないコンピなんだけれども、この際、そんなことは関係ないでしょ!
フィリー・ソウルとかいう、一連のソウル見直し運動ってのが昔あったけれど、その時もアル・グリーンとかと一緒にコンピが編纂されていたっけ。このアルバムはそれとは別に発売されたもの。
日本では、マーヴィン・ゲイ、アル・グリーン、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング等(結局、日本で大ヒット曲があるかないかの差)以外は、案外、聴かれているようで聴かれていないアーティストがかなりいて、このアイズレー・ブラザーズなんてその最たるものなんじゃないかな。ちなみに同じ傾向としては、スピナーズ、オージェイズ、ボビー・ウーマックなんてのも・・・。
で、コテコテソウルはくさやの干物よろしく、とっつきずらいけれど、ハマると後を引く。
アイズレー・ブラザーズもソウルフルといえばこれほどソウルを体現している人たちもそうそういないくらいに濃い。香水のムスクにしては臭過ぎる体臭がプンプンと漂ってくるのだ。草食系男子など、はなから拒否反応必至の <男の世界>。当然、胸毛も生えてます!!!(多分)
このコンピは、そんなアイズレーのラブ・バラードばっかりを集めたもので、日頃、ジャパニーズ・ラブ・ソング嫌いを公言して止まないワタクシでも、ここまでエロ~く迫られれば、文句はありません!!!
中途半端な愛なんて意味ないよ、要はヤリタイだけなんだから。そんな下心アリアリな歌の数々はやはり黒人にしか歌えません。農耕民族にはまず無理。だからJP君たちは軟弱になるしかないんだな。うん、納得。
ちなみにこのアルバムの裏ジャケットには、
Turn off the lights and lose youself in the sweet soul ballads of The Isley Brothers.
などと、わざわざ記載されております(笑)
この必殺のアルバムがありさえすれば、パンツ脱ぐのも脱がされる(?)のも、まさに自由自在と言えましょう。
『中村恩恵&加藤訓子~ダンスと音のコラボレーション~』 [音楽]
話は『パウル・クレー展』から続きます。
東京国立美術館から~北の丸公園~日本武道館~神保町~をトボトボと歩く。
神保町ではDISC UNIONに寄り、いつもの如く中古CD漁り。結局、ここでは購入しなかったものの、神保町交差点近くの鯛焼き屋で鯛焼をパクつき、そのまま水道橋駅方面へ。
途中、老舗のトニイ・レコード(ここも中古屋)に寄り道すると、あらあら、欲しかった『ニュー・ヴァリューズ/イギー・ポップ』が1000円で売っているじゃあありませんか! すかさずGETし、返す刀で、『BEAUTIFUL BALLADS/THE ISLEY BROTHERS』(こちらは驚異の500円!!!)も。思いがけない収穫にニコニコ。これだから寄り道は止められません(笑)
それから吉祥寺に向かう。
17:00、商店街の一角にあったリーズナブルな居酒屋チェーン店の扉をくぐる。カウンターに通され、角瓶のハイボールをオーダー。
注文は目の前に置かれたI-PADみたいな端末でお願いしますと言われ、初めて触るそれにちょっと緊張ぎみ。指が太いのか、画面を切り替える時に隣の場所を押してしまったりで戸惑う。
一時間少々、ぼんやりしたり、本を読んだり、端末と格闘したりで過ごし、で、チェックアウトってどうするの? と、素直に尋ねると、伝票(座席の番号のみが記入されたもの)をそのままレジに持って行って下さいと言われ、納得。
それから同じ商店街にある古本屋で文庫本を一冊購入し、目的の吉祥寺シアターへ。
★ ★ ★ ★
さて、ここからが本題です(笑)
吉祥寺シアターさんの方から今回の公演の案内をいただき、それも一日のみ、で、まさかの1000円!!! という破格の提供に、金欠でLIVEに行けないワタクシも、これはと、飛びついた次第。これなら文句なかろう! 劇場関係者の粋なはからいに答えねば男がすたる、、、と。
白と黒、そこに浮かび上がる影の効果を見事に生かしたステージは、シンプルの極致であるがゆえに観客のイマジネーションを刺激し、緊張感に満ち溢れた空間を排出していた。
ダンスの中村恩恵のぜい肉をそぎ落とした肉体は、しかし、力強さももちろん含んではいるものの、東洋的な柔らかさとしなやかさに溢れ、アジア人としての "私" を浮き彫りにする。
アイデンティティの問題はとかく日本人が忘れがちな個所である。しかし、それなしでは根のない木のように、存在そのものが疑われてしまうたぐいの最重要問題であろう。望むと望まざるにかかわらず、それは必ず付いてまわる。
一方、鈴から大太鼓まで、様々な打楽器を駆使して音を作り出す加藤訓子も、アジア人であることが使用する楽器の種類からもはっきり分かる。確かなテクニックに裏打ちされた正確無比な一音一音には強力な存在感が宿る。と同時に、どこか風通しの良さも感じられる。まるで風のような<涼>とした空間が存在するのだ。
黒づくめの衣装をまとった二人は、時に交わり、時には影となり、時には追いかけ、追いつき、追い抜く。そんなダンスと音楽の交わりが刺激的で、一瞬たりとも目が(耳も)離せない、素晴らしいステージとなった。
これで1000円とは、バカ安!!!