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『ハッピーエンドクラッシャー』(ゴジゲン) [演劇]

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                       『ハッピーエンドクラッシャー』(ゴジゲン)


 ここ最近のお気に入りのゴジゲン。
 前作の『チェリーボイ・ゴッドガール』での、情けなさ200%の青春残酷物語(大島渚!)が、こちらの過去の琴線に触れなくていいのに触れてしまい、それ以来、無視出来ない存在になった。

 ゴジゲンを率いる作・演出の松井大吾氏は、世間に跋扈(ばっこ)する "嘘臭い感動" や "わざとらしい美談" の大嫌いな人で、その点もワタクシと良く似ていて、つい、そうだよなー、とか、相槌をうってしまう。
 この『ハッピーエンドクラッシャー』でも、基本的にその姿勢に違いはなし。ただし、前作がかなりの直球だったのに対し、こちらはシンカーなのか、手元でちょっと変化する。

                              ★

 舞台は九州のとある田舎町。
 昔ながらの縁側のある古びた家の中庭に、久しぶりに高校時代の仲間が集まった。2人は東京の大学に通っていての里帰り。後の3人は浪人中。
 彼らが集まったのは、高校時代からずっと出場し続けている、地元で開催される漫才大会に出場するためであり、集まった中庭のある家は、自殺してしまった彼らの同級生である阿部の実家だった。
 阿部は仲間内で一番頭が良く、仲間に暗号で試験の解答を教えようとしたところを見つかり、受験資格を剥奪されてしまい、その後、すぐに自殺してしまったのだった。
 彼の兄は死んだ弟のために線香の一本でも上げてくれればいいと、優しく彼らに接する。
 一方、阿部のおかげで見事東京の大学に受かった2人は、東京慣れした言動と態度で、やたら明るくはしゃぎ、地元に残された浪人組はそんな態度に、内心面白かろうはずもなく・・・。

                              ★

 タイトルから察するに、現代の若者の軽いノリと無意味な明るさを、出演者達が揶揄(やゆ)するパターンかなと勝手に想像していたのだが、意外にも地方のどこにでもある田舎臭い町が舞台だったので意表を突かれた。主軸となるのが友だちの自殺という設定も、どこにでもあるありふれた青春物のそれであるし。
 ところがそこはやはりゴジゲンであって、青春回顧調の、哀しいことを乗り越えて、それでもボクらは前に進んで行く的な展開にはやはりならない。それをやったらゴジゲンじゃあなくなるのだ。

 東京から戻って来た2人の宴会的な異様なテンションは、明るくなければ人間じゃあないという今の風潮がデフォルメされていて、はしゃげばはしゃぐほど、無理している風が見えてきて痛い。それはあたかも日常生活でさえ、漫才を演じなければならないかのようだ。そうしないと "イケている人" から脱落してしまうとでもいうように。
 それを憎々しげに感じている地元3人組もまた、内心とは裏腹に冗談を言い合って仲良しを演じる。彼らもまたネガティブな要素を少しでもさらけ出した瞬間、何かから捨てられるのを極端に恐れているようだ。
 
 そんな彼らではあるが、過剰な明るさの裏で、やはり阿部を自殺に追い込んだ責任を感じて、いや、それだからこその明るさでもあった。
 徐々に暴き出されてゆくそれぞれの<事実>は、痛々しく悲惨でもある。そして最後の「スイカ割り」で爆発する<現実>・・・。

 1時間50分、長丁場を観終わってみれば、そこはやっぱりゴジゲンでしか描けない、まさに独断場だった。
 しばらくはこの劇団から目が離せない。


 追記:ゴジゲンのブログによると、ボクが観に行った9月14日(月)は、過去最高の入場者だったそうです。確かに通路に人を座らせたりで、係りの方は大忙しでした。

タグ:ゴジゲン
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