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『ろじ式』(維新派) [演劇]

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 外は雨。
 台風は進路を変え、日本列島をかするようにして進んでいた。風はそれほど強くはないものの、時折激しい雨が吹き付ける。
 雨で湿った足場を気にしつつ、山小屋風の建物の中に入る。建物の中央を通路にし、その左右に立ち飲み屋のような店が設けられていた。
「豚汁、あるよ~。食べてかない?」
 唐突に声をかけられ、足を止める。
「ついでにお酒はどう?」
 矢継ぎ早に放たれる誘惑の単語。”豚汁””お酒”、そう来られたら、素通り出来るほど、こちらも青くない。
「じゃあ、もらおうかな・・・」
 当然、こうなる。
 酒を手に豚汁をパクつきながら、芝居の始まりをしばし待つ。

                              ★

 古ぼけた体育館で繰り広げられるのは、タイトルからも連想されるような、すでに大人となってしまった者にとっての、子どもの頃の記憶の呼び覚まし。そこには "懐かしさ" と "冒険" に満ち溢れたもう一つの扉が広がっている。
 世界が細部まで張り巡らされた "秩序" によって成立するその前、そう、世界は混沌とともにあった。まるでパンゲアのように。

 物語は、、、ない。
 それどころか、ほとんど台詞もない。
 それからすると純然たる芝居というよりも、不思議なダンスを眺めていると言えば分かり易いかもしれない。
 『ろじ』という言葉から浮かび上がったイメージの集積が、この『ろじ式』なのだ。
 白塗りされた少年、少女たちは、個々の個性を剥奪された替わりに、"子どもたち" というより大きな役割を与えられ、走り、笑い、飛び跳ねる。

 今日、明日、明後日と、時間はもの凄いスピードで流れてゆくものの、そんなことを気に掛けたことすらない。
 なぜなら子どもたちにとって、時間は永遠だから。
 永遠の少年、
 永遠の少女、
 永遠の子どもたち・・・。
 しかし、いつしかその永遠も終わりがやって来て、舞台上のボクたちは、気がついたら観客側にいた。
 いつから逆転したのだろう?
 子どもの時間は永遠だったはずなのに・・・。
 ならば今一度、ここで転換しよう。
 もう一度、あの頃の心躍(おど)る気持ちを、
 永遠を取り戻すために。

 そんなことを考えさせる芝居であった。

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