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『たゆたう、もえる』(マームとジプシー) [演劇]

 芝居もなかなか観る時間が取れなくて、がんばれ、月一シリーズとして、なんとか継続したいなあ・・・と、自分を鼓舞してるところ。

 この作品を観たのは、実は2月中旬なのだが、書きそびれていて、今になってしまった。
 悪いことに、ひと月遅れとかになると、記憶が曖昧で、細部をほとんど忘れているのに唖然とさせられて、おいおい、どうする? 状態なのだった。恥ずかしいことに・・・。

                         ★

 「血は水よりも濃い」
 この作品を一言で語るとしたら、これしかないだろう。
 昔からさんざん使われてきた言葉。ゆえにその響きは重い。
 血のつながりこそが最初の、そして最後の絆であり、恋愛や友情のように、成立しなかったら簡単に切れるたぐいのものではない。生まれてから死ぬまで(いや、死んでからもか)、この関係は続く。
 『たゆたう、もえる』は、姉、妹、弟の3人の子ども時代から、家族を持って生活するようになる大人時代までの約30年ほどを描く、家族という名の時代史でもある。
 
 そんな大河ドラマのような時間の流れを、一時間数十分の中に凝縮する方法として、脚本・演出を手がける藤田貴大氏が取ったのは、時間と場所をいったん解体し、再構成するものだった。
 子ども時代の姉妹の仲の良い戯れやいさかいが、数十年後の大人になった時に、まったく同じように繰り返され、大人同士の口喧嘩が、実はすでに子ども時代にまったく同じようにされていたりと、デジャヴなんてものじゃなく、まさに繰り返されるのだ。
 大人になってそれぞれの生活が中心になっても、年一回実家に集まると、薄まったはずの関係は、とたんに以前のままの濃さを取り戻す。そして何度も繰り返される衝突。

 いっそすべてを捨てて、さっぱり出来たらどんなに楽だろう・・・。
 誰もが幾度そんな思いに囚われたことか。忘れてしまいたい・・・、でも、それは不可能なのだ。
 たぶん、人がこの世に誕生した瞬間から与えられた<業(カルマ)>に違いない。ならば好むと好まざるにかかわらず、それと付き合ってゆかなければならない。そういうものなのだ。

 それにしても藤田氏は、よくこんな風に切り貼りして、矛盾も起こさず終着点まで駆け抜けられたものだ。まさに驚嘆に値する。話自体はシンプルなものの、きっと乱数票を作成して、ああでもない、こうでもないと、頭を悩ませたはず。

 また一つ興味深い劇団を知ることが出来た。
 知らないものを知る楽しみ、いつだってこれに勝る楽しみはない。


                CIMG5001_320.jpg
 
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