「ピート・クーパー」ミニ・ライブ [音楽]
ピート・クーパーという名を知る人は数少ないと思う。
もちろんボクも初耳。
で、何をする人かというと、アイリッシュ・ミュージック界のフィドル奏者として、それも特に教える側の人間として有名らしい。
I love all kind of music のワタクシは、アラブ、中南米、アフリカ、アイリッシュ、まあ、早い話が、何でも好きなのだ。ジャンル無視の快楽主義者、美味しいところ取りのお調子者、支離滅裂、、、、。
なのでたまたまお誘いのあったピート・クーパーのライブを、それも3000円で観れると聞き、せっかくだから行きましょうかと、仕事帰りの金曜日、初台の東京オペラシティへ足を運んだ。
会場となる近江楽堂は、ホールと呼ぶにはあまりにこじんまりとしたスペース。
円形のそこはまるでミニチュアの教会のようで、モスクのような丸い天井が厳かな雰囲気を醸し出し、音の響もかなりなもの。
そこに椅子が50席ほど、並べられていて、それでいっぱいになってしまうくらいと言えば、その規模を想像してもらえるだろう。
ということは、ステージも単に椅子が置かれているだけ。そう、サロンと呼んだ方がピッタリくる。
定刻の7時になり、登場したのは、まさに大学教授と見間違うような風貌のピート・クーパーその人。
椅子に座り、足でリズムを大きく取る。最初の一音から、アイリッシュ独特の旋律が心地良い、こちらが想像したまんまの、典型的な曲。
次は、彼に師事した日本人女性と、アコーディオンの小さいやつ(名前は何て言うんだろう?)を手にした、こちらも日本人の女性の3人からなる演奏。
曲によって編成を変えながら、次々に演奏される曲は、どれも親しみやすく、こちらのツボにハマりまくる。日本人とアイリッシュって、もの凄く相性が良いと思うのはボクだけだろうか?
彼の演奏と曲を聴いていると、アイルランド・ミュージックのルーツは、農民やジプシーのまつりごとの時に、にぎやかに演奏されるそれなんだなあ・・・というのが肌で感じ取れて、まるで気取ったところのない庶民の音楽としてのありようが、親近感を覚える理由なのだな、、、と。
演奏は途中の休憩を入れて、2時間みっちりと続けられた。
曲によっては歌あり(フィドルを弾きながら歌う)だったり、アメリカのカントリーだったりして、こちらが意識するほどには、アイリッシュとカントリーを区分けしていないような感じも受けた。
シンプルなのに飽きの来ない演奏の数々は、シンプルなゆえに、ダイレクトにこちらに伝わるのだ。
曲が曲として、歌が歌として、今、この瞬間、目の前に存在することの意義は、とてつもなく大きい。
もちろんボクも初耳。
で、何をする人かというと、アイリッシュ・ミュージック界のフィドル奏者として、それも特に教える側の人間として有名らしい。
I love all kind of music のワタクシは、アラブ、中南米、アフリカ、アイリッシュ、まあ、早い話が、何でも好きなのだ。ジャンル無視の快楽主義者、美味しいところ取りのお調子者、支離滅裂、、、、。
なのでたまたまお誘いのあったピート・クーパーのライブを、それも3000円で観れると聞き、せっかくだから行きましょうかと、仕事帰りの金曜日、初台の東京オペラシティへ足を運んだ。
会場となる近江楽堂は、ホールと呼ぶにはあまりにこじんまりとしたスペース。
円形のそこはまるでミニチュアの教会のようで、モスクのような丸い天井が厳かな雰囲気を醸し出し、音の響もかなりなもの。
そこに椅子が50席ほど、並べられていて、それでいっぱいになってしまうくらいと言えば、その規模を想像してもらえるだろう。
ということは、ステージも単に椅子が置かれているだけ。そう、サロンと呼んだ方がピッタリくる。
定刻の7時になり、登場したのは、まさに大学教授と見間違うような風貌のピート・クーパーその人。
椅子に座り、足でリズムを大きく取る。最初の一音から、アイリッシュ独特の旋律が心地良い、こちらが想像したまんまの、典型的な曲。
次は、彼に師事した日本人女性と、アコーディオンの小さいやつ(名前は何て言うんだろう?)を手にした、こちらも日本人の女性の3人からなる演奏。
曲によって編成を変えながら、次々に演奏される曲は、どれも親しみやすく、こちらのツボにハマりまくる。日本人とアイリッシュって、もの凄く相性が良いと思うのはボクだけだろうか?
彼の演奏と曲を聴いていると、アイルランド・ミュージックのルーツは、農民やジプシーのまつりごとの時に、にぎやかに演奏されるそれなんだなあ・・・というのが肌で感じ取れて、まるで気取ったところのない庶民の音楽としてのありようが、親近感を覚える理由なのだな、、、と。
演奏は途中の休憩を入れて、2時間みっちりと続けられた。
曲によっては歌あり(フィドルを弾きながら歌う)だったり、アメリカのカントリーだったりして、こちらが意識するほどには、アイリッシュとカントリーを区分けしていないような感じも受けた。
シンプルなのに飽きの来ない演奏の数々は、シンプルなゆえに、ダイレクトにこちらに伝わるのだ。
曲が曲として、歌が歌として、今、この瞬間、目の前に存在することの意義は、とてつもなく大きい。
タグ:ワールドミュージック
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