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『ロックが熱かったころ』(中村とうよう) [書評]

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          『ロックが熱かったころ/中村とうよう著』(ミュージック・マガジン)


 中村とうようが亡くなった。自殺だった。

 中村とうようが出版人であり、編集長であった(現在は異なる)「ミュージック・マガジン」。そしてその前身である「ニューミュージックマガジン」は、ともに、長らくボクら世代のバイブルだった。

 高校生の頃はお金もないのでおもに立ち読み。ちょうど同時期に出版されていた、カラー写真満載の「音楽専科」(!)に比べて、サイズも小さく、おまけに写真も少なく記事ばっかりで、ずいぶんと地味だった。それでも彼の書く記事には一本、ピン! と筋が通っていて、妙に納得させられたものだ。
 大人になって改めて購読するのだが、基本姿勢は終始一貫変わらなかった。いちおうロック・フィールドの雑誌なのに、ジャズや民族音楽にもちゃんと目配りしているところが、他の雑誌と決定的に違っていた。当時のボクはそこを飛ばし読みしていたに違いないが、今となっては、知らず知らずのうちに刷り込まれていたような気もする。

 音楽にこだわりを持つ人間が減り、ヒットチャートがAKB48を代表とする、いわゆるアイドルPOPが席巻する2011年、いつの時代もこのてのジャンルが必要なのは否定しないが、暗澹たる気持ちに襲われるのも事実。もう、誰も真剣に音楽を聴こうなんて思わないんだなあ・・・と。果たしてそんな彼らが中年になった時、彼らの中で、懐古趣味以外に音楽は存在出来るんだろうか?

 音楽と真剣に向き合う。「ミュージックマガジン」の編集方針の根幹はそこだった。『ロックが熱かったころ』は「(ニュー)ミュージックマガジン」誌上に掲載された中村とうようの持論を、おもにレコード評を通して紹介したもので、1970~80年代半ば頃に書かれたもので構成されている。
 意味深なタイトルからもうかがえるように、ロックがロック足り得たのは、せいぜいパンク~ニューウエイブ期頃までだったように思う。今でこそ日本の歌謡曲バンドもロックと呼ばれて久しいが、いったいいつからロックが、子どもの情操教育の一貫のような、もの分かりの良さに溢れたヒーリング・ミュージックに成り下がったのか? 若者のフラストレーションの発散を根幹に持つはずのロックは、大人からは揶揄(やゆ)される、不良の音楽だったのに・・・。
 そんな不良の音楽は、危険な音楽でもあった。毒をはらんだ音楽だからこそ、大人は嫌ったのである。<みんないい人>思想がロックを殺す、、、いや、現に殺してしまった。だから、『ロックが熱かったころ』なのだ。過去形なのだ。

 この本の中では、スリーピー・ジョン・エステスのライブでの、日本人手拍子のまぬけさについて述べ、バカ一筋のステイタス・クォーを褒め、返す刀で、ボストンの大げさな演奏に文句をつける。
 レコード評では、なんと、BONZO DOG BAND、THE FUGS、THE HOLY MODAL ROUNDERS なんてバンドを紹介。そんなの誰も知らねーよ! と、言われかねない危ういラインナップである。さらにMOTHERS を絶賛し、ランディ・ニューマンの『セイル・アウェイ』に95点を献上。逆にファウストの4枚目には厳し過ぎる20点だったりして、黒人音楽から派生したロックの持つ身体性を無視した、西欧人の頭でっかちな音楽に嫌悪感を丸出しにする徹底さがいっそ潔し!!!
 このように、ハッキリものを言ってしまうので、人によっては好き嫌いがあると思う。それでも売り上げの多くを広告収入に頼っている手前、悪口の言えない商業誌の中では、やはり異彩を放っていた。

 死の前には自分の音楽コレクションを知人に譲り渡していたとも聞く。
 自殺の原因は定かではないし、それを詮索したところでどうなるはずもない。
 ただ、音楽を聴く楽しみを教えていただいた恩人に、一言感謝を言いたかっただけだ。

 ありがとうございました・・・。


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