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『ソラリス』(東京デスロック) [演劇]

 芝居を観に行って楽しいのは、他の劇団のチラシをたくさん貰えること。
 時にはそれが厚さ1cmくらいあったりして、片側を閉じればほぼヤンマガ? ってな重量感。帰りには一気にカバンが重くなります。

 それらチラシの束の中に気になったものがいくつかあり、その一つが東京デスロックの「ソラリス」でした。
 なぜ気になったかというと、A4見開きサイズの計4P前面に渡り、「ソラリス」の台本が掲載されていたからです。台本を掲載するということは、ストーりーをばらすということです。なので普通はやりません。それをあえてやったということは、よっぽど作品に自信があるのか、アホかのどちらかでしょう。
 そんな点が興味を引き、じゃあ一丁観てやるか・・・と、なった次第です。まあ、いつもながらの海苔、じゃなかった、ノリですかね。しょせんワタクシもアホなもので(笑)。           

 チラシに掲載された台本は読みませんでしたが、いい機会なのでスタニスワフ・レムの原作『ソラリスの陽のもとに』は事前に読みました。かなり以前から読みたいとは思っていたのですが、どうもSFが苦手なため、読む決心がつきませんでした。内容も<哲学的>らしいので。
 しかし、今のボクには哲学、怖くありません。
 「柄にもなく、哲学してみる(笑)」「ニーチェ ニーチェ ニーチェ」と、哲学についての記事にも書いた通り、今や哲学 is my friend ですから!

          ☆          ☆          ☆

 舞台の中央に小さな砂の島。その周りを水(ソラリスの海)が囲んでいる。
 惑星ソラリスで生活する研究者であるケルビンとスナウトが、疲れ果てた様子で砂の上に寝そべりながら、言葉少なく会話している。内容はケルビンの恋人ハリーを上手く消せたかどうかについて。

 原作を読んでない方は既に、はあ~? ってな感じだろう。
 簡単に説明すると、惑星ソラリスの海は高度な知性を有していて、理由は定かではないが、人間の心の奥底に仕舞われた記憶を実体化させるのだ。
 ケルビンは恋人のハリーにつれない仕打ちをし、彼女を自殺に追いやった過去がある。死んだはずのハリーが姿を現し、ケルビンは再び自責の念に駆られる。それに耐えられなかった彼は、実体化された偽者のハリーをロケットに閉じ込め、打ち上げたのだった。

 スナウトはケルビンに、きっとまた現われるはずと教える。彼の言葉通り、ハリーはケルビンの前に何事もなかったように再び姿を現す。
 同じ研究者であるサルトリウスには、やはり死んだはずの母親レムが表れ、つきまとう。
 いったいなんの目的でソラリスの海は、こんなことをするのだろうか? 解こうとする謎は解けず、次第に苛立つ彼等。三人はそれぞれの思いでこの現象と向き合い、自分なりの結論を出す。それでもソラリスの海は何一つ変わらない・・・。

          ☆          ☆          ☆

 脚本がほぼ原作に忠実に書かれているため、芝居の最初にスクリーンに説明書きがされるのだが、この独特な世界観は予備知識がないとけっこう辛いかも。見方によってはただ男達がうだうだタルそうに喋っているだけだから。
 現代口語演劇を掲げ、作りこまれたまるでオペラのような仰々しい台詞回しを廃止し、【演劇の持つ表現としての多様な可能性を表出させていくシリーズ(チラシより)】として作られたこの芝居をどう観るか?
 ・わからなかったけど、面白かった?
 ・わかったけど、つまらなかった?
 仮に観客に意見を求めたら、多分、曖昧な返事が返ってくるはずだ。わからない、面白くない、と、言い切る度胸はみんな持ち合わせていない。もしかして、それが自分だけだったらどうしよう? という状況を恐れるからだ。

 じゃあ、お前はどうなんだ?
 と、問われれば、つまらない6、面白い4、とでも言っておこう。
 原作の性質上、このダラダラ感は正しいとも取れる。だって、原作も提示された問題の答えは最後まで謎のままだから。故にカタルシスはない。ないが、小さなポイントはある。それをこちら側がどれだけ汲み取れるのかは観客の感受性(それもかなり高い)に委ねられる。
 この芝居は演じる側が手取り、足取りして、観客をあちら側に引っ張り込もうとはしない。ヒントはあげましたよ、あとは各々(おのおの)、やって下さい! えっ? そうなの? やれるための感性を磨く以外にそれについていく方法は、多分・・・ない。
 しょせん問題は自分の中か?

          ☆          ☆          ☆

 観終わった後に評論家の堤広志氏を迎えて、脚本・演出の多田淳之介氏とのポストパフォーマンストークが行われた。
 堤氏も最初にTAOが書いたように、チラシに載っていた台本を見てビックリされたそうだ。喧嘩売ってんのかコイツは! と、一瞬思ったという意見には、まったく同感。
 堤氏からは90年代以降に広がり始めた演劇の流れについての説明もしていただき、演劇素人のボクには納得させられる話だった。

 最後に質問コーナーがあり、口の悪い(友達言葉と公共言葉の区別がまったくつかない)若い女子高生? の質問の後、誰も質問しないので、つい質問してしまいました。誰かいませんか? と言われると、無理してでもなにか捻り出さずにはいれない哀しい性なんですね(笑)。

 質問したのは、現代口語演劇での~声の大きさと舞台のサイズの関係について~
 この「ソラリス」は、こまばアゴラ劇場のサイズ(キャパ120~130人くらい)なら特に問題ないと思うのですが、いつもこういう環境があるわけではないだろうし、たとえば田舎の公民館のような場所に行って芝居を行わなければならなくなった場合、この芝居は成立するのでしょうか?
 みたいなことを質問してみた。答えは、

 あんまりでっかい会場でやったことがないなあ・・・。まあ、300人くらいのキャパまでなら大丈夫。以前、(「ソラリス」ではなく)もうちょっと大きい会場でやった時は最初マイクを使ったんだけど、結局外してしまった。大きくなったらそれに対応出来る芝居をつくるし。
 だいたいこんな感じだった。

 唐突に、ポンと質問しただけなので、こちらの意図したことが正確には伝わらなかったようで、正直、ちょっと歯がゆかった。
 ただ、最初マイクでやろうとして止めたエピソードが興味深く、現代口語演劇はそもそも普通に会話している言葉を用いて、日常となんら変わらなく喋るのを特徴としている。それ故に小さな劇場なら問題にはならないが、大きな劇場になった場合、当然、言葉が聞こえなくなってしまう。そこでマイクを使うか、大きな声を出すかを求められるはず。しかし、それをしてしまうと<普通に喋る>という現代口語演劇の立脚点は崩れてしまわないのか? いわゆる矛盾が生じるのだ。
 それをどう回避するのかを知りたかったのだが。別の作品をやるではその答えにはなっていないと思うのだが・・・。
 現代演劇の実情をまったく知識として持っていないアホな疑問なのだが、どうなのでしょうか?
 このムーブメントもすでに10年以上になるので、きっと答えはずっと昔に出ているはずだろう。でも、ふっと疑問に思ったので、質問してしまいました。

  最後に、仲間内(同じ演劇業界にかかわっているであろう)の多さはなんとかならんのかねえ。訪れた観客が互いにお久しぶりなんて挨拶していて、ふらっと、気が向いたから観に来ました~みたいに気軽に来る雰囲気でもなくなっちゃうんだけど。
 それとこの従順な客が演劇界の底辺を支えているとしたら、やけにひ弱じゃない? 「ソラリス」わかんなかったら、どこがわからないのか聞きゃあいいだろうに。それ考えると、口の悪い女子高生の方がよっぽどマシかも。



  


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見に行った者ですが,同感(?)です

私も見に行きましたが「つまらない」の一言でしたね。
私は「つまらない10、面白い0」

お金取ってるんだし、「きちんとやれよ」としか思えませんでした。
開演前の口上も随分粗雑でダラダラとしゃべっているだけだし、
「見せよう」と思ってないんだろうな、と言うのが正直な感想。

>この芝居は演じる側が手取り、足取りして、観客をあちら側に
>引っ張り込もうとはしない。ヒントはあげましたよ、あとは各々
>(おのおの)、やって下さい!

手取り足取りという表現は割とぴったりくるのかな。金取って
ふんぞり返ってどーするんだ、というのが正直な印象。
一番前の席で「力いっぱい」眠らさせていただきましたよ。

>最後に、仲間内(同じ演劇業界にかかわっているであろう)の
>多さはなんとかならんのかねえ
そりゃ、仲間内じゃないとまずいよあれじゃ・・・。
by 見に行った者ですが,同感(?)です (2007-08-19 00:01) 

TAO

観ましたか、あれを。
つぶやくような台詞が観客に聞こえるように空調を抑えていたようで、タオルで汗を拭いながら観てました(笑)。
観る前の予想だと、小説のエッセンスを取り出して、大胆に脚色しちゃうと思ってたんですけど、まんまイキましたね。
ちなみに原作では、おのおの現れた偽者達は、自分を記憶している相手が目の前にいなくなると(ドアで隔てられるとか)、もの凄いパワーで相手と近づこうとします。だから離れられないんですね。

この演出家はどうやら、目の前にある役者の肉体のリアルさを提示したがる人のようで、その意味では水に濡れた身体(特に女性)には、そのリアルが認められました。
過去の作品では、まったく同じ芝居を3回続け、実際に疲れてヘロヘロになっていく "役者の姿" を観客に提示したそうです。

もらったチラシに9月に『LOVE』という新作をやるようなので、もう一度観て判断しようかな、とも考えています。もの好きなもので、つまらないなりに、じゃあ、どうしてつまらないのか知りたくなっちゃう性分なもので(笑)。

見に行った者ですが、同感(?)で...さんの一刀両断の感想、清々しいですね。良いなら良い、ダメならダメの意思表示をしっかりすることが一番大切ですからね。日本人的美徳のジャパニーズ・スマイルは取りあえず止めにしましょうや。ねえ、皆さん。
by TAO (2007-08-19 07:27) 

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