荒野の家(水素74%) [演劇]
雪にまみれながら、目指せ東大!(駒場前)
ぬかるみに足を取られ、半ば溶けて氷水状になった道を抜け、そこにあるのは、こまばアゴラ劇場。
途中、古本屋に立ち寄ったり、100円のカニクリームコロッケを頬ばったりしながらも、やっと到着。まるで富士山頂を目指すクライマーのよう。おおげさですが。
久しぶりのアゴラ劇場。待合室のストーブがありがたいです。
演劇関連の書籍を読みながら、会場を待つ。
「水素74%」という劇団は初めて。
チラシを読むと、早稲田大学⇒青年団⇒水素74%と、青年団の若手演劇人育成システムの流れの劇団なのだと想像出来る。ただし、劇団員を持たないとあるので、ひとり劇団ユニットなのですね。
イープラスでの先行予約特典、オリジナルエコバッグもいただいて、ちょうどA4サイズのチラシが入るので便利かも。
『なにもかもなくなってしまった荒野の中で人はどう生きるのか』
というキャッチコピーに釣られて観に来たわけだが、家族を描きながら、家族を描けないというジレンマをどうするのか・・・。
コミュニケーション方法は増え、時間や距離の制約からもほとんど解放されつつある時代に、それでもやっぱりというか、それだからこその<ディスコミュニケーション>という、半ば泥沼化した命題にどう向き合うのか? これは多くの劇団が取り組む<命題>でもあり、興味が湧く。
携帯電話~メール~フェイスブック~ツイッター~ライン、、、手段は増え、増えた分だけ関係が希薄となる、予想外な反比例現象は、いつまで経っても収束せず、逆に拡散するばかりだ。散弾銃での100発より、大砲1発の威力にこそ意味があったと、いまさら言ったところでもう後戻りは出来ない。
30歳過ぎの引きこもりの息子、息子をでき愛する母親、家庭を顧みない父親、結婚したはいいが、半年も経たずに帰って来た娘。
そんな<家族>が、同じ屋根の下で、近親相姦的愛憎と自己中心的な感情で、けっきょく身動き出来ず、また、現状に不満を持ちつつ、変われない、変わりたくないのか、せいぜい半径10mあたりで呼吸をしている息苦しさが嫌だ。
中盤以降はそこに娘を連れ戻しに北海道から出て来た旦那と、息子を更生させるために訪れた××××スクールの屈強なふたり。そして、水商売をしている自分の代わりに、で死んだ旦那の父親の看病を頼みにやって来た隣人。
みな自分勝手で、どいつもこいつも、まったくこいつらは! と、一喝したくなってしまう、じんわりと嫌な登場人物は、案の定、物語後半になっても、まったく性格が変わらず、やっぱり変な奴のままだ。変われない(そもそも自分が変だという自覚がないのだから変わりようがないのだった・・・)なら、このままで、新しい家族を、周囲とも新しい関係を模索するしかないだろうが! そんな作家のネガティブパワーに、観ていて気持ち良くはないものの、なぜか納得させられてしまう。
現実にもけっこうこういう人たちって存在するしさ・・・・・
そんな心のつぶやきも。。。
我々は今、未曽有の岐路に立っているのではないか?
過去の常識の通じない、新しくも、くそったれな時代の。
さて、どうしますかね?
(答えのないまま、この文章も終わってしまう・・・・・)
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