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墨攻 [映画]

 久々にワクワクした心持で映画館に駆けつけた。
 映画の題名は「墨攻」。中国の戦国時代(BC430~221年)に現れた思想家墨子によって独自の考えを実践した「墨家」の活躍を描いた時代絵巻である。
 
 BC370年。中国大陸は大きく分けて七つの大国がひしめき合っていた。俗に戦国時代と呼ばれるこの時代には「諸子百家」と呼ばれる各々が、独自の思想を掲げ、各地に広めていった時代でもある。孔子の「儒家」、老子・荘子の「道家」、韓非子の「法家」等がその代表とされる。

 そんな時代に趙の大群10万人が、燕を攻撃しようと、まずは両国の境目に位置する梁城を攻め落とすべく、移動を開始した。城の梁王は藁をも掴む思いで墨家に救いを求めるも、やって来たのは革離(かくり)と名乗る男一人だった。革離は軍隊の指揮権を自分に一任すれば、見事城を守ってみせると王に伝え、王はしぶしぶそれに従う。こうして、10万の軍隊VS城の住人4千人の無謀とも言うべき戦いの火蓋が切って落とされた!

 映画は「墨家」の思想に基づいて革離が、実際に梁城をどのようにして10万という大群から守るのかを、作戦を展開させながら描かれる。それはまるで将棋の一手のようで、相手がこう来るであろうから、こちらはこう向かえるとの、革離と敵将の知能戦だ。
 横軸として女剣士との心の触れ合いも描かれている(もちろんラブ・シーンなどないが)。

 革離を演じるアンディ・ラウの存在感が強烈で、男から見てもとにかくかっこいい!
 「墨家」の思想を実践するストイックな性格や策略を練る知性、戦いを指揮する統率力と力強さ、そして優しさ等を併せ持った人間像を、彼は見事に演じ切っていた。
 本当に自分が取った方法がベストなのか? 後半、城を守るためとはいえ、敵への殺戮を繰り返す自分に対する疑問。そして「墨家」の思想を実践することだけに力を注ぎ、実はもっと大切なものの存在を蔑(ないがし)ろにしてしまっているのではないか? との苦悩に心を砕く場面には素直に共感させられた。
 
 ちなみに映画の冒頭では「墨家」に対する具体的な説明がないので、観る前に予備知識を入れておくことをお勧めします。それが曖昧だと、多分、分かったような、分からなかったような、宙ぶらりんな気持ちで劇場を後にすることにもなりかねませんので。

 ★「墨家」とは?

 墨子の思想を実践する集団の名。
 その教えは、
 「兼愛」・・・・・誰に対しても平等に愛すること。
 「非攻」・・・・・攻撃する行為自体を否定すること。
 「非命」・・・・・宿命論を否定、努力次第で運命を切り開けると説く。
 等、全部で10の項目があり、先に上げた三つは中でも「墨家」の代表的な教えである。

 特に「兼愛」「非攻」の教えの実践の場として、この映画に登場する革離のように、大国に攻められようとしている小国に赴き、敵の攻撃から城を守ることを心がけた。
 集団はいくつかに役割分担されていて、武器を作る者、作戦を練る者、教えを広める者、財政を担当する者がいた。
 守るということは逆に、攻めを理解しないと守れない。なので、「墨家」自体はけして自分からは仕掛けないものの、かなり優れた戦闘集団であったらしい。仮に守れなかった場合、名誉のため自決したとも伝えられている。
 また、思想のために戦地に赴くので、報酬はいっさい受け取らない。食事も寝るところも至って粗末。必然的に身支度もボロボロである。

 戦国時代は儒家と影響力を二分していた「墨家」も、戦国時代が終わるBC221年には、忽然と時代から姿を消す。戦国時代を秦が統一したことで、「墨家」の思想は以降不要なものとなる。


 原作の革離はハゲ頭です。ラストも映画とは違います。


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