レナード・コーエンという男 [音楽]
『紙ジャケ』と聞いて耳がピクリと動くのは、LP時代を共に過ごした良き世代の人たちだろう。
歴史的名盤からマニアックな発掘盤まで、世間はまさに紙ジャケット増殖中である。
それに輪を掛けてリマスター盤の発売があり、LPで持っている人も、つい購入意欲を掻き立てられてしまうといった憎たらしい仕組みだ。どうだ、さあ買え、ほら買えと背中を無理矢理押されているような気もしないではないが、内心嬉しかったりもするので、結局誘惑に乗ってしまうのだった。でも、バカヤロー!
そんな状況の昨今、多分誰も気づかない程、こっそりと初期の3作品が紙ジャケ&リマスター仕様で発売になった作品がある。このブログでも時々その名がひっそりと上がるレナード・コーエンその人である。
だが、その名を知っている人、さらに彼の曲を実際に聴いたことのある人は、果たしてどれくらいいるのだろう? ちなみにAMAZON COMのCD紹介ですら、誰一人としてコメントを寄せていない。
世界的な評価の高さに反比例して、この日本では圧倒的にリスナー数の少ないアーティストの筆頭。彼の手で書かれ、歌われた曲は確かに万人向けとは言いがたい。しかし、ひとたび惹きつけられたら、脱出不可能な魔術的魅力に絡め取られずにはいられない。まさにボクがそうだった。
コーエンの唄は抑揚に乏しい。低音でぼそぼそと呟くが如き歌声は、まるで墨絵のようにシンプルで静的な世界だ。その中に実は複雑な色が無限に広がっているのに気づくのは中毒になった後だったりする。それがわかればあなたもイッパシのコーエン・ジャンキーの仲間入り。
『紙ジャケ』仕様で発売された3枚のアルバムだが、収録された曲調に大した変化はない。基本はどの歌もアコースティック・ギターの弾き語りをバックに、淡々と深みのある声が流れるのみだ。
ここはせっかくの機会なので、そんなコーエンの歌の魅力の一端に触れてみたい。
(注)ジャケットのタイトルとTAO表記のタイトルが異なっています。TAO表記はTAO所有のCD通り、写真は発売当時の邦題と思われます。
☆ ☆ ☆ ☆
『レナード:コーエンの唄/SONGS OF LEONARD COHEN』(1967)
1934年、カナダ生まれ。もともとは詩人であり、作家であった。著作『嘆きの壁』は日本でも以前翻訳されていた。それからも分かる通り、まず言葉の人である。なので対訳がないと面白みは半減する。その上理解する事は、かなり難しいと言わざるを得ない。
このファースト・アルバムにはジュディ・コリンズによって歌われ、一躍コーエンの存在を有名にした「SUZANNE」が収録されている。
イエスが水の上を歩いた時、彼は船乗りだった
そして彼は孤独な木造の塔から長い間外を眺めて過ごし
溺れる者だけが彼の姿を見る事が出来るのを知った
そして彼は言った
海が人々を解放してくれるまで、すべての男達はみんな船乗りである
しかし、空が晴れ渡るずっと以前に、一人の人間として彼自信が崩れ落ち
石のように自分の知恵の下に沈んでしまったのだ (訳=TAO)
キリスト教徒が大半を収める欧米では身近な物語かもしれないが、新約聖書を読む習慣のない日本人にはピンとこない逸話だろう。イエスの奇跡と処刑の物語ではあるのだが、それが前後の歌詞とどう結びつくのかは判然としない。寓話めいた不思議な、なんとも形容し難い印象を聴く者に与える歌である。
☆ ☆ ☆ ☆
『ひとり、部屋に歌う/SONGS FROM A ROOM』(1969)
裏表紙には当時コーエンが住んでいた、エーゲ海に浮かぶヒドラ島の簡素な住居の写真が起用されている。ピアノとベッド。必要最小限度の物しかない、そこはコーエンの唄そのもののようだ。
このアルバムに収録された「電線の鳥(BIRD ON WIRE)」も、コーエン以外には表現不可能な詩が綴られている。
電線の鳥のように
真夜中の酔っ払った聖歌隊のように
ボクはボクなりのやり方で自由になろうとしたんだ
生まれる前に死んでしまった赤ん坊のように
角を持った獣のように
ボクに伸ばされた手を引き裂いたんだ
でもこの唄に賭けて誓う
そしてこれまで犯したすべての罪に賭けて誓う
あなたに対してだけは償うと
木の松葉杖で身体を支えた物乞いを見かけた
彼は言った " そんなに沢山の救いを求めるべきではない "
暗闇のドアに寄り掛かった可愛らしい女が叫ぶ
" ねえ、どうしてもっと多くを求めないの? "
電線の鳥のように
真夜中の酔っ払った聖歌隊のように
ボクはボクなりのやり方で自由になろうとしたんだ (訳=TAO)
このようにコーエンの詩は明確な説明を有しない。
主人公はなんに対して自由になろうとしたのか?
物乞いのような姿をした賢者と、身体を売る娼婦。知恵と快楽。両極端な存在が悪魔の囁きの如く手を伸ばす。比喩や暗喩で埋め尽くされた詩をどう読み、解釈するかは、聴き手に委ねられている。
☆ ☆ ☆ ☆
『愛と憎しみの歌/SONGS OF LOVE AND HATE』(1971)
髭面のコーエンの顔がチェ・ゲバラに似ている。このアルバムもそれに呼応して幾分ラフに仕上げられている。それにしても、ここに収録されている「FAMOUS BLUE RAINCOAT」の限りない美しさと深い哀しみを、どう表現したらいいのだろう?
そう、ジェーンは君の髪を一束持って戻って来た
君がくれたんだと言う
すべてをはっきりさせると決心したあの夜
そうなったのかい?
ボクたちが最後に君を見かけた時、君はちょっとばかり老け込んで見えた
高価なレインコートの肩のところがほころびていたっけ
駅に入って来る電車を調べに駅へ出向いたのだが
りりー・マルレーンを連れずに家に戻って来た
なにを語れるのだろう、兄弟よ、殺し屋よ
なんと言えばいいのだろう?
君をいとおしく思えたらいいんだけれど そして許せたらいいんだけれど
君がボクの前にいてくれて嬉しいよ
そう、ジェーンは君の髪を一束持って戻って来た
君がくれたんだと言う
すべてをはっきりさせると決心したあの夜
そうなったのかい? (訳=TAO)
ここでも難解な歌詞に戸惑う。主人公とジェーンと "君" の関係とは?
どことなくレズビアンの匂いも漂わせながら、答えはやはり見つからない。"君" とは、性を超えた不可思議な存在なのだろうか?
☆ ☆ ☆ ☆
上記3枚が紙ジャケ&リマスター盤。
ただし、もともとがギターの弾き語り故、リマスターの必要ありかは疑問の残るとこと。それよりも輸入盤でしか手に入れる事の出来なかった<日本盤=対訳付>を手に入れるチャンスだったので、今回、『愛と憎しみの歌』のみを購入。それ以外は既に日本盤を持っていたのでパス。
さて、せっかくここまで紹介して来て、最高傑作を紹介しないのも手落ちでしょう。なので続けて紹介します。
☆ ☆ ☆ ☆
『愛の哀しみ/NEW SKIN FOR THE OLD CEREMONY』(1974)
『ライブ・ソングス/LIVE SONGS』(1973)を挟み、翌年発売されたこの5枚目は彼の最高傑作だと思う。これまで以上に曲のクオリティが高いし、第一、素晴らしい歌がたっぷり詰まっている。
そんな中で、ニューヨークに実在しているチェルシー・ホテルを舞台に、ジャニス・ジョプリンとの関係を歌った「チェルシー・ホテル#2」は、ロック・ファンならより理解出来るであろう歌詞となっている。
チェルシー・ホテルでのおまえの事はよく憶えているよ
時にとても勇敢で、時にとても優しく話していたね
ニューヨークでは金とセックスを激しく求めていた
歌を歌う事を生業とした者にとっては、それが愛と呼ばれていたんだ
取り残された者にとっては、きっと今でもそうなのだろう
チェルシー・ホテルでのおまえの事はよく憶えているよ
おまえは有名だったし、その心は伝説だった
ハンサムな男が好きだと何度も言っていたけれど、特別にボクにはさせてくれた
そして美の形に悩まされたボクらのような者達の為に
おまえはこぶしを握り締め、自分で静脈に注射針を刺した
おまえは言った
気にしないで 醜くったって音楽があるじゃないの
でも、おまえは逃げ出したんだ そうだろう?
群集に背を向けて
おまえが言うのを一度も耳にしたことがなかった
あなたが必要なの、あなたなんて必要じゃないわ
あなたが必要なの、あなたなんて必要じゃないわ
そんな戯言を
チェルシー・ホテルでのおまえの事はよく憶えているよ
それだけさ
しばしば想い出したりはしないさ (訳=TAO)
名声でさえもジャニスの心にポッカリ空いた穴を埋める事は不可能だった。寂しさをセックスとドラッグで埋め合わせようとしても、それすらなんの足しにもならないとしたら、人はどうしたらいいのだろう? どこに向かえばいいのだろう?
この歌はそんなジャニスの実像を見事に表現した傑作として、コーエンの代表作の一つとなった。
☆ ☆ ☆ ☆
歌から歌詞の意味がどんどん軽視され続ける昨今、確かにコーエンの綴る言葉の数々は難解で、一筋縄では理解出来ない。しかし、逆に言えば、必要以上に明確に語らない事で、聴き手一人一人の想像力を刺激し、色々な解釈を可能とするのもまた事実。それ故、聴く度に新しい発見があったりもする。
最後に一曲紹介してこの長い文章を終わりにするとしよう。解説はあえてしません。あなたがあなた自身の感じる心に触れて下さい。
ずっとずっと昔の事のように思える。
ナンシーは一人ぼっちだった。
宝石みたいなきれいな石をを透かして、深夜映画を眺めていた
正直者の家では、彼女の父親が裁判にかけられていた
神秘の家では、誰もいなかった
ナンシーは緑色のストッキングを履き
誰とでも寝た
彼女は一人ぼっちだったけれど
我々を待っているとはけして言わなかった
ボクは思う
彼女は1961年に我々と恋に落ちたのだ
1961年に
45口径の銃は枕の横にあり
受話器は外れていた
我々は彼女は美しいと言った
そして自由であると
しかし、我々の誰もが神秘の家では彼女と会おうとはしなかった
神秘の家では
そして今、あなたは自分の周りを見回す
彼女はどこにでもいる
大勢の男達が彼女を抱き
同じ回数だけその髪をとかした
虚ろな夜の中で、あなたが冷さに凍えている時
彼女が自由に話しているのを聴く
彼女はあなたが来てくれて嬉しいのだ
「SEEMS SO LONG LONG AGO, NANCY」『一人、部屋に歌う』より (訳=TAO)
コメント 0