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『死にたい老人』(木谷恭介) [書評]

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                 『死にたい老人/木谷恭介』(幻冬舎新書)

 以前、長寿はめでたいか? と、日頃感じていた疑問をこのブログに書いたことがある。
 100歳までケンコー! いつまでも若くいたい! 人生これから!
 ノー天気なシュプレヒコールの嵐に、長寿はついに新興宗教と化した!!! なんて思った。
 もちろん健康は尊いが、人が簡単には死ななくなって良かったねと単純に言い切ってしまうのも、はなはだ疑問なのである。
 
 老人介護の問題は現代社会が抱えた大きな問題だし、老人の増加と少子化は、年金制度の崩壊をもたらした。
 そんな現実が目も前にあるのに、そのノー天気さは無知を通り越して「悪」だ。うがった見方をすれば、健康商品を売りたいが為のメーカー側の策略でしかないのに。
 それでもまだ今の老人は幸せだ。60歳にもらえるはずの年金が65歳に延長され、さらに延長をもくろむ国のバカな案が現実味を帯びているこれから老人になる我々にとって、60歳を過ぎ、65歳、70歳になるまで金も支給されず、社会制度も他人まかせのまま、働け、働け、とはいったいなにごとだろう?
 死ぬより厳しい現実、こんなことならさっさと死んどけば良かった・・・。そんな社会がやってこようとしている。

          ★          ★          ★          ★

 作者の木谷恭介氏は、ミステリー好きならば名前くらいはほとんどの方が知っているベテランの作家だ。
 この本は83歳になった小谷氏が、体力の衰え、痴呆症への恐れ、離婚、孤独死への恐怖等々から、自らの意思で「死」を選択し、実践する経過を書き記したものである。
 自殺の方法は色々あれど、氏が選択したのは「断食安楽死」だった。無理矢理に「死」に向かうのではなく、西行が行ったような断食によって死を迎えるといったものだ。そこには死にたいという感情とは別の、生きていく必然性が希薄になったとでも言うべきものであった。

 断食開始前からの記述から始まり、カウントダウンをしながら、その日に食べたもの(おもにお粥)と体重が記載され、一気にではなく、徐々に身体を慣らしてゆくあたりからして、当たり前だが、すでに本気モード。それを読みながら、なかなか体重が落ちないな、とか、持病の鬱血性心不全の症状を気遣いながら薬を飲む様子等、疑似体験ではないが、こちらも慎重に読み進めてゆくことになる。
 「死」に向かって断食するのに、なんで身体の心配なんてするの? と、いぶかしむ向きもあろうかと思う。それは死ねば良いというものではなく、最終的には浄化されての「死」であるべきだろうとの氏のこだわりの表れでもあろう。単に死ぬのならば、列車への飛び込みとか、練炭自殺とかの方法もあるだろうも、それは違うのだ。

 さて、氏は「断食安楽死」に成功するのだろうか? でも、成功していたら新聞沙汰になっているよなあ・・・とも思うし、失敗したら失敗したで、本文中に何度も決心のほどを書き連ねているので、引っ込みがつかないんじゃないのかな・・・とも思う。人の生き死にに対して不謹慎だとも思うが、読み物として考えたら、どうしてもそうなってしまうのはいたしかたなし。でも、人はそう簡単に「理性」では死ねないもの。
 とか、ドキドキというよりソワソワしながら読み進めたのだった。
 とりあえず、結果はご自分でご確認下さい。


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