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「1995年のサマー・アンセム」(エマニュエル) [演劇]

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 マームとジプシー熱以来、またちょっと芝居を観たくなっているワタクシ。
 それも若い劇団がいいなあ・・・、とか、年甲斐もなく(?)思ったりしております。
 
 で、本多劇場のホームページを定期的にチェックしていて、気になったのがこの「1995年のアンセム」。
 それも劇団名が、なぜかエマニュエル!!
 なんで???
 とか、あらぬ勘繰りを抱いてしまいたくなる隠微な名前の由来はなんでしょう?
 中年のワタクシとしては、やっぱり「エマニュエル夫人」とかを想い出してしまい、ちょっと赤面。

 芝居の内容は、、、
 とある高校の野球部。甲子園を目指して、今日も練習に明け暮れる日々。
 いよいよ地区予選も始まり、3年の今年こそマネージャーを甲子園に連れてゆくと約束するのだが、試合当日、マネージャーは交通事故で他界。試合も大敗してしまう。
 後は卒業を待つばかりの野球部員のAとB、そして亡くなった少女の友達だったC。彼らは亡くなった少女を甲子園に連れてゆくため、卒業を拒否。
 それから18年の歳月が流れ、彼らは高校20年生になっていた・・・。

 ワタクシごとですが、この前、通勤電車の中で仲良くパンを食べていた熟年夫婦がいて、感心するやら呆れるやら。
 普通はどちらかが食べようとしたら、どちらかがみっともないから止めなさい! と、注意するんじゃないんですかね。それなのに、2人とも美味しそうに食べていて、日頃子どもたちに、そんなことしてはいけませんと言っている立場上、どうなんでしょうと。人は年を重ねることにより成長してゆくと、一応は思っていたのですが、実際は、バカはどこまでいってもバカなのか !? 人はかしこくなんかならないんだ・・・、と、悟りました。
 そんな経験があったものだから、人は年を重ねたからって、成熟や成長なんかしないじゃん! と、考えていたところ、たまたまこの芝居の内容を読んで、成長を拒否した物語として興味を持ったしだい。

 まあ、もちろん、この芝居は、こちらの考えている成長拒否とは別もので、後ろ向きの意味での<停止>ではなく、死んでしまった女子マネージャーを甲子園に連れて行ってあげたいとの強い思いからの<停止>。
 それでも、10年過ぎ、18年が過ぎた頃には、野球部のお荷物となり、監督(もと同級生!)からも退部を勧められたりもする。試合にも年齢がネックになって出場出来ないし。だけど、彼らはめげない。一瞬、もうそろそろいいんじゃないの? と、頭をよぎることはあっても、突き進むのみ。あくまでポジティブなのだ。

 思えば、損得勘定抜きで、物事を信じられたあの頃、ボクたちは幸せだったのかも。あれから何年、いや、何十年が経ち、多少の分別がついた分、幸せに近づくことが出来たのか? もしかしたら遠ざかっているのか? なんかよく分からない。

 10代が美しいなんて、誰にも言わせない!!
 というセリフをどこかで目にしたように記憶しているが、現実はそうだったかもしれなくても、やっぱり美しかった・・・ことを、むげに否定しまって良いものでもないだろう。

 とりとめのないことを整理もせず記した。
 芝居は時にバカバカしく、時に感傷的で、でも、ノスタルジックでもあり、思わぬ拾い物となった。
 エマニュエル、第3弾も期待してます!!
 

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