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『スティーヴ・ハーレイ&ザ・コックニーレベル』 [音楽]

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          『THE BEST OF STEVE HARLEY AND THE COCKNEY REBEL』


 Q:日本人がロックに対して持っている盲点は?
 ・
 ・
 ・
 A:ブリティッシュ・ロック音痴

 異論もありましょうが、ブリティッシュ・ロックって、実はどうも正当に評価されているとは言い難いところがあるような気がします。

 ビートルズ、ストーンズ、ハードロック系は例外としても、本国の人気に対して、どうもちゃんと評価されていないというか、無視されている方々がたくさんいらっしゃるのに、どーも納得がいかないんですね。
 アホの一つ覚えのようにヤードバーズをブリティッシュ・ロックの源流とするのは理解出来なくもないのですが、それならスペンサー・デイビス・グループやスモール・フェイセズだって、同等とは言わないが、もっとずっと評価されるてしかるべきではないですか?

 プログレの世界においても、イエス、クリムゾン、ピンク・フロイド等は確かに偉大なグループなので、現状の評価にはまったく文句はないです。ジェネシスもEL&Pも素晴らしいバンドです。でも、ジェントル・ジャイアントのあまりの評価の低さ、というか、ほとんど無視は解せません。

 そんな不当な評価に甘んじているのが、今回紹介するスティーヴ・ハーレイ&ザ・コックニーレベル。

 確かに彼らはデビューのタイミングがグラムロック末期だったものだから、その延長線上で(日本では)紹介されてしまったのがそもそもの間違い。今でこそ<パンクの帝王>などと神格化されているイギーだって、当時はまったくのキワモノとして扱われていたのを否定出来る人はおそらくいないはずです。真っ当に評価どころか、聴かれてもいなかったんですね。
 同じくこのスティーヴ・ハーレイもへんてこグラムロックの一変異として紹介されただけで、ちゃんと聴いている人なんて誰もいなかった。本国イギリスではヒット曲を連発していたにもかかわらず。

 イギリス人特有の皮肉や屈折感などは、アメリカ人のように単純でない分、誰でもがすぐに理解出来るものでもなかったりするものだから、実は日本人にとってはブリティッシュ・ロックっていうのは鬼門なのではないでしょうか? でも、ロック史の中に埋もらせてしまうにはあまりにもったいなさ過ぎます。
 一度、日本の評論家が語るブリティッシュ・ロック史と、イギリスの音楽好きが語る自国のロック史を並列して眺めてみたいものです。多分、かなり違うと思いますよ(笑)
 
 まあ、それはともかくとして、ぜひ、

 Steve Harley & Cockney Rebel - Sebastian

 で、YouTubeを検索してみて下さい。

 デヴィッド・ボウイとブライアン・フェリーを足して2で割ったようなユニークな個性が楽しめますから。何気に名曲多し。


 追記:彼の「Make Me Smile(Come Up And See Me)」はしがない中年失業者が男性ストリッッパーを演じる爆笑映画、『フル・モンティ』(必見!) の主題歌になっています。
 また、彼の絶頂期を体感出来るのライブ盤『FACE TO FACE』は、観客も一緒に大合唱するこれぞ英国! という大傑作。ああ、一緒に会場にいれたら・・・。

タグ:ロック
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ホンジュラスの雄、ギジェルモ・アンダーソン来日 [音楽]

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 突然のお誘い、ありがとうございます!

 ということで、今日の今日のメールではありましたが、ちょうどその日のみスケジュールに空きがあったので、正直、体調はまだ芳しくないにもかかわらず、スコスコと赤坂にある草月ホールまで、ホンジュラスの歌手、ギジェルモ・アンダーソンのライブに出掛けたのでした。

 会場18:30、開始19:00というのは、ちょっと早いなあ~。
 とか言いながら、しっかり間に合ってしまう、時間にうるさいワタクシなのですね。
 急用で来れなくなった方(面識なし)の、「代理の者です・・・」と告げると、事前に連絡が入っていたようで、すんなりチケットをいただけたので、ホッとしたりして、余裕のある時間でトイレに行ったり、ロビーをうろついたり。
 けっこう歴史のある草月ホールなのに訪れたのは初めてで、一度来てみたいと思っていた会場なので、座席に座ってからも周囲をグルリと見回したりして過ごす。会場は六角形を半分に切ったような感じで、こじんまりして観やすい。

 開演時間になり、場内が暗転すると、ステージ後ろのスクリーンに、ホンジュラスという国の説明が流れた。確かにホンジュラスってどこだよ? という人がほとんどだと思うので、これはありがたい。かくいうボクもジャマイカあたりじゃなかったっけな~くらいの知識しか持ち合わせていないもので。
 編成はギジェルモのボーカル&アコースティック・ギターに、踊り&コーラスの女性、タンボールというパーカッションを操る青年、踊り&パーカッションの長身の男性、それにキーボード、ベース、ドラム。
 豊かな自然を歌い、愛しい女性を歌うギジェルモは、風貌だけ眺めると、どこにでもいる気のいいオッサン風。あえて歌手に例えるならジョルジョ・ベンかな、音楽的に。けして声高に叫んだりしない。それでもシンプルな歌詞とメロディに乗せて、歌いたいことがストレートに観客に伝わって来る。歌にちゃんと一本筋が通っているのだ。
 演奏は予想以上にアフリカ色が強く、もっと中南米やジャマイカの影響があると考えていただけに、ちょっと意外だった。

 派手な演出など皆無、しいて挙げれば、ところどころにアフリカ風のダンスが披露され、パーカッションのリズミカルなビートに乗って、これがなかなかの迫力。そのパーカッションは、タンボールと紹介されていました。まだ若い青年が演奏するのですが、早くて手の動きがよく見えないくらい。右手の掌がまるで大きな蝶が舞うように、茶色い手の甲と、白い掌がヒラヒラと移り変わり、しばしあっけに取られてしまう。

 時間にして1時間少々。
 音楽を演奏する楽しみに溢れた良いライブだった。
 こんな演奏を目の当たりにすると、逆に、我々が失ってしまったものの大きさに愕然とさせられてしまう。
 今こそもう一度歌の原点を確認すべき時なのかもしれません。


 追記:ホンジュラスの公用語はスペイン語。最近まで内乱が続き、情勢が不安だった。クーデターで大統領が追放されるというような事件が起きている。

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『淋しい女(Lonely Woman)』 [音楽]

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             『ジャズ来るべきもの(THE SHAPE OF JAZZ TO COME) 』(1959)


 1960年代はあらゆる音楽にとって、エポックメーキングな時代だったと思う。
 ロックがその形を明確にし出したのもこの時期だし、その後の発展を考えれば、もっとも重要な10年間だと言ってもいいだろう。

 それは何もロックに限ったことではなく、ジャズにおいても、50年代のハード・バップ全盛からフリージャズへ、大きな変化をもたらすこととなる。

 ここで紹介する『淋しい女(Lonely Woman)』は、フリー・ジャズのアルトサックス奏者であるオーネット・コールマンが1959年に発表した『ジャズ来るべきもの(THE SHAPE OF JAZ TO COME)』の冒頭を飾る曲。
 今では歴史的名盤の名を欲しいままにしているこの作品も、多分、発表当時はかなりの賛否両論だったと思われる。

 この作品、これまでのジャズ、いや、音楽の概念に照らし合せると、確かに、NO なのである。
 じゃあ、何が NO なのかというと、
 ◆演奏がとてもヘタに聴こえる!(笑)
 ◆プロの演奏とはとうてい思えない、まるで練習し始めの中学生レベル。
 ◆だいたい音程が合ってない。なので、アルトとトランペット(ドン・チェリー)が同じメロディーを吹く、もしくはハーモニーを付けているはずなのに、まったくのバラバラ。 
 おいおい、こんなんでいいのかよ!!!
 と、ついちゃちゃを入れたくなる。
 
 しかし、今挙げた点が、意図して作られたとしたら?

 そう、意図的に、わざとヘタに演奏されているんですね。
 これは考えれば凄いことで、ジャズ以外ではまずありえない。
 上手に演奏しようとして、でも下手だった。それも味だよね、、、というのは有だと思う。
 でも、この場合、それとは明らかにレベルが違う。

 じゃあ、なぜ下手に吹かなければならなかったのか?

 ここでタイトルをもう一度思い出して欲しい。
 『淋しい女(Lonely Woman)』。
 このどうしょようもなく外れた音程で演奏される<音>の中に、精神を病んだ現代人の病理が見事に表現されている。
 一見するとごく普通の女。しかし、どこか微妙に壊れた女。
 それはこの曲が作られた1959年よりも2009年の今の方が、よりリアリティをもって実感できるような気がしてしょうがない。

 満員電車の中で平気な顔して化粧する女、
 コンビニのおにぎりを頬張る女、
 眠っても携帯電話を手放せない女、
 知性も品格もないのに、いや、ないがゆえに、ブランド品を持つことで、偽りの安心に浸る女、
 他人からしたらどうしようもなく滑稽なのに、本人だけが気づかない愚かさ・・・。

 それら "歪んだ精神" のすべてをこの調子外れな演奏の中に集約する。だから、演奏は下手でなければならなかった。

 コロンブスの卵的発想から生まれたこの傑作も、二度三度と通じるものではない。一度きりの反則技なのだ。ゆえに、アルバムの他の曲は多少変わってはいるものの、これまでのジャズの枠内に留まっている。
 逆に言えば、それだけこの一曲が、奇跡的な演奏だということなのだ。

 
タグ:ジャズ
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JUNGLE BEAT で BOW WOW WOW ! ! ! [音楽]

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             『BOW WOW WOW ~I WANT CANDY ~ANTHOLOGY』


 先の MONSOON 同様、ニューウエイブ時に、こちらも個性的なビートで当時話題になったのが、この BOW WOW WOW。

 このバンドの特徴は、
 ①60年代風の目一杯エコーを効かせたトロ~ンとした音なのに、ザクザクとリズムを刻むギター。
 ②ファンキーに跳ね回るバカ・テク・ベース。
 ③鼓笛隊の太鼓のようなパーカッシブなドラム。
 ④MONSOON 同様、10代のハチャメチャ元気娘、アナベラのボーカル。

 80年代前半の英ニュー・ウエイブは本当、個性的なバンドが目白押しだったと、今でも羨ましく思える。
 同じジャングル・ビートでは、アダム・アントがいたし、よりダブに接近したポップ・グループや、アリ・アップが在籍した女性3人組のスリッツ(直訳すれば割れ目ですから!)、元プリンズレー・シュワルツのスタイリッシュなニック・ロウ(祝・来日!)とか、楽しい連中ばっかり!

 ジャケットもめっぽうイカしていて、ファースト・アルバムは、確か英国盤と米国盤がジャケット違い、もしくはアルバムと12inchのコンセプト一緒のジャケット違いだったように記憶している。
 このCDはベスト盤で、ファーストアルバムに使われた写真を使用しているので、この写真の構図と絵柄から、ちょっと美術をかじった方ならば、マネの『草上の昼食』のパロディなのがすぐ分かるに違いない。
 大胆にもまだ10代半ばのアナベルが、な、なんとヌードになっている!!!
 こりゃ、買わずにおられりょか!
 まあ、こうなるのが男という生き物の摂理なのだ。けしてボクがスケベなのではありませ~ん!

 残念ながらこのバンドも短命で、それでも3枚のオリジナル・アルバムをリリース出来たので、それなりの活躍はし終えたかな・・・とは、思える。
 アフリカで乗る浅草花屋敷のジェットコースターのように(って、どういう例え?)、ワイワイキャーキャー、楽しさ満載の彼らの音は、やっぱり今でもアドレナリン出まくりで興奮度100%なのだった。

タグ:ロック
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MONSOON [音楽]

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                 『MONSOON featuring Sheila Chandra』


 その名も「MONSOON」という、一風変わったバンドをご存知でしょうか?

 1982年頃にイギリスでデビュー。
 確か、『THIRD EYES』とかいうタイトルのアルバムを一枚出して、ほとんどそのまま解散してしまったので、知名度は低いものの、当時としては(今でも)異色の音楽性を発揮したバンドとして、一度聴いたら忘れられない印象を残す。

 何が異色かというと、
 ①インド系イギリス人が組んだバンドであるという点
 もともとインドはイギリスの植民地なので、イギリスにも多くのインド人の移民が生活している。同じ理由で、ジャマイカ人や黒人たちも多い。
 ②インド音楽 + ロック = ユニークな音楽性 
 エレキ・ギターもありながら、シタールもあり、ドラムもリズムを刻みながら、タブラがより細分化されたリズムを叩きだす。これぞまさに MONSOON MUSIC !
 ③女性ボーカリスト、シーラ・チャンドラの存在
 まだ10代半ばの幼さの残る美少女、シーラ・チャンドラの存在が、このバンドに華を添えている。それもガンジスの流れを彷彿させるような、美しい声はまさに ONE AND ONLY。

 このアルバムは "featuring Sheila Candra" とあるように、彼女のその後の活動がそれなりに評価されての祝CD化といった意味合いも多分に含んでいるように思われる。
 なんてったってこのCD(当時はLP、それもジャケットは別の写真だった)一枚しかリリースしてないので、たいして話題にも上らなかったことは容易に想像出来る。そもそも売れてれば解散しないし・・・。
 それでもソロとなった Sheila Candra が、地味ではあるが、ボイス・パフォーマー的な感じの癒し系アルバムを発表し続けていてくれるのが、とても嬉しい。

 でも、音の面白さからしたら、やっぱりこのアルバムが一番。
 曲もすごくポップなので、ワールドミュージックがどうとか関係なしに楽しめる。

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『リトル・リチャード・ライブ!』 [音楽]

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 音楽業界にカリスマはいく人存在するのだろうか?
 ジミ・ヘンはまず外せないでしょ。
 ジョン・レノンはどうだろう?
 ジム・モリソンなんてドンピシャ!
 おっと、ボブ・マーリーだっているぞ!
 ・・・などなど、考えてゆくとけっこう楽しいもので、女性ボーカルなら、やっぱり、まずはジャニスだろう、とかね。

 そんな楽しい空想も、この人を外しては失礼に当たるというもの。
 その人の名は、、、リトル・リチャード。
 ロック創生期のイノベイターとして、チャック・ベリー共々、ブラック・ミュージック界から飛び出した異才中の異才なのだ。
 チャック・ベリーがダッグ・ウォークで観客を沸かせれば、リトル・リチャードは立ったまま、時にはピアノに乗ったままでの演奏ならぬ激奏に、見ているこちらのアドレナリンも沸々と上昇してくるというものだ。

 それにしてもカリスマ? いやいや、そんな生易しいものじゃない。まさに天才!
 そして天才は時にわけがわからない。
 黒人なのに直毛、かつら説あり、というか、まんまかつら。
 目にはアイシャドウ。
 唇は赤く、身体にピッタリとラメの服。
 ライブ後半は上半身、ハ・ダ・カ。
 まばたきせず、まっすぐ "どこか" を直視する視線は、イッてしまった人のよう。
 ゲイを公言し、おまけに趣味は女装というこの天才は、桁外れの変人、変態でもあるわけだ(笑)

 変態? それがどうした!
 とにかく触れれば火傷する熱気ムンムンのステージは、まさに必見!
 天才とは何か・・・を垣間見ることが出来る貴重なライブ映像に、ただただ驚嘆するばかりなのだ。
 Lucille
 Good,Golly,Miss Molly
 Jenny,Jenny
 Long Tall Sally
 すべてが古典であり、すべてが今なお新しい。
 未だに彼を超えるロックン・ローラーはいない、映像を観れば観るほど、そう思わずにはいられない。
 機会があったら、ぜひ、リトル・リチャードの全身から放出される原初的なパワーを体感して欲しい。
 
 ロックが単なる言葉遊びでしかない昨今の音楽に興味を失いそうになったら、ぜひこの一枚を!!!


 追記:映像は1969年に行われたカナダ・トロントでのライブ。
     ただし、ジャケ写が見つからなかったので、イメージ的に合いそうなCDジャケットを紹介しました。
 
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「ミスター・ボージャングル」(N・G・D・B) [音楽]

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           『アンクル・チャーリーと愛犬テディ/ニティー・グリッティー・ダート・バンド』(1970)



 N・G・D・Bの正式名称は、ニッティー・グリッティー・ダート・バンド。

 70年代を中心にアメリカで活躍したカントリー・ロック・バンドで、スターがいなかったことから、同系統のバンドの中でも忘れられた存在になってしまってはいるが、田舎臭い風貌と音楽は、一時代のアメリカを象徴した印象的なバンドだったと思う。

 そんな彼らの代表作が、『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』(1970)だ。
 このアルバムに収録されている「ユーコン鉄道」「プー横丁の家」がヒットしたことから、一躍時代の寵児に躍り出たN・G・D・B。
 それに加え、彼らの終生の代表曲となった「ミスター・ボージャングル」の素晴らしさがひときは印象に残る傑作として、歴史的名盤となった。

 「ミスター・ボージャングル」はもともとはカンントリー歌手のジェリー・ジェフ・ウォーカーの作品なので、いわゆるカバー曲なのだが、本家に勝るとも劣らない名演となっていて、一度耳にしたら二度と忘れられない強い印象を残す。

 歌から "物語" が消えて久しい。
 気が付けば、一人称と二人称のオンパレード。世の中を俯瞰(ふかん)して見る視点の欠落が、歌をどんどん薄っぺらいものに変えてしまったと考えるのは、ボクだけなのだろうか・・・?


 「ミスター・ボージャングル」
 
 ボージャングルという名の男を知ってるよ。
 彼は擦り切れた靴を履いて、よく踊って見せてくれたっけ。
 髪は銀髪で、シワのよったシャツにダブついたズボン、そして古ぼけた靴を履いていた。
 彼はとっても高いところまでジャンプして、
 静かに着地するんだ。

 彼とはニューオーリンズの地下の薄暗いバーで出会った。
 その時、ボクはとても気持ちが沈んでいたんだ。
 そんなボクを彼は年寄り特有のひねくれたような眼で眺め、
 無作法に話し掛けて来たっけ。
 自分のこれまでの人生について語ったかと思うと、笑顔を浮かべ、
 靴の踵(かかと)を馴らし、ステップを踏んだんだ。

 彼は自分を "ミスター・ボージャングル"と名乗ると、部屋を横切るようにして踊った。
 ダブついたズボンを押さえ、大きく足を広げると、
 信じられないくらい高くジャンプして、踵を打ち鳴らす。
 彼はありったけの笑顔を作り、
 背広を正し、大げさな仕草で観客にあいさつをする。

 ※ ミスター・ボージャングル、ミスター・ボージャングル、踊ってよ

 彼は南部を旅しながら、地元の寄り合い所などで踊った。
 愛犬と連れ添った15年もの歳月に想いを寄せながら、
 涙を浮かべてその当時のことを語ってくれたことがあった。
 犬が喜べば彼も嬉しかったし、犬が死んでしまえば、彼もまた死んでしまったように感じられたと。
 あれから20年も経ったのに、彼は今でもそのことが哀しくてしょうがないんだ。

 彼はこんなことを言っていた。
 今では酒とわずかばかりのチップの為に踊ってるんだ。
 それでも、ほとんどはバーのカウンターの奥で、酒をチビチビ飲んで過ごしているんだけれどね。
 彼はそう言って、頭を振った。
 誰かが彼にリクエストするのを聞いた。

 ※ ミスター・ボージャングル、ミスター・ボージャングル、踊ってよ
                                                 (訳 TAO)

タグ:ロック
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アラマーイルマン・ヴァサラット来日公演 [音楽]

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                 アラマーイルマン・ヴァサラット来日記念チラシより

 こんなライブがあるんだけど行かない?
 そんなメールが突如飛び込んで来た。
 音楽に関してはボク以上にマニヤックなヤツだ。
 彼の、嫁さんからの小遣いを節約し、その分中古CDを一枚でも多く買おうというセコい性格が、とても人事とはとても思えない(笑)

 週末の渋谷、夜7時。
 会場のDUOにはどことなく怪しげな客がちらほら。ひと目見て普通の音楽を素直に聴くような輩でないことがうかがえる。まるでアイルランドのうらぶれたパブにでもいそうな、ひねくれた酒飲みのようだ。性格の悪さがモロ、顔に表れている。

 この会場は最近では珍しくテーブル席で、入口でドリンク券を購入し、バーボンソーダをオーダーし、席に着く。
 もともとライブ会場とHして設計されていないのだろう、ステージ前にドンッ! と突っ立った太い柱が邪魔。

 オープニング・アクトはアイヴォールという名のまだ若い女性シンガー。北欧のフェロー諸島で生まれた彼女は若いにもかかわらずすでに5枚のアルバムを発表、ケルトの若き歌姫として本国及びヨーロッパで人気を博しているそうだ。
 歌声はアイリッシュ特有の透明感の中にも民族の血を漂わせた個性的なもので、フォークギター、エレキ、カリンバ、パーカッション等を操りながらのステージは、シンプルながら一本筋の通ったものだった。

                              ★

 休憩を挟んで、いよいよ真打登場、フィンランドが産んだ変態バンド、アラマーイルマン・ヴァサラット!!!

 まず驚かされるのがバンド編成で、ドラム、2本のチェロ(小さいサイズ)、トロンボーン、サックス、キーボード、それもどいつもこいつも胡散臭さ満載の、一歩間違えれば変質者か犯罪者か、、、といったヤバい風貌に圧倒される。
 特にサックスのスタクラは、ヨレヨレのスーツに型崩れしたシルクハットのような帽子、長い髭と、まるでユダヤ教のラビのようないでたちがすでに異様!!

 ぶっ放す音楽は、パンク・クレズマーとでも呼ぶべき、哀愁と爆裂が同居したような感じ。
 え?
 クレズマーって何だ? ですって?
 詳しくはウィキペディアで検索していただくとして、簡単に説明すると、ユダヤ音楽、もしくは、日本のチンドン屋さんが奏でるアレ。あれは絶対クレズマーだと思う。個人的には。
 もともと流浪の民であるユダヤ人は迫害されながら各地を放浪、その土地土地の土着の音楽を吸収しながら独自の音楽を発展させていった。自国を持たぬ民族ゆえ、それは悲しみの色合いが濃い。

 ステージはフロントマンであるアルトのスタクラ VS トロンボーンのエルノの対決っぽいシチュエーションが基本になっていて、お互いが相手の顔に向けて音を飛ばすような仕草を繰り返す。『スターウォーズ』におけるルークとダーズベイダーなのか?
 途中、以外に美声なスタクラが
 「Do you like heavy-metal ?」
 と、観客に尋ねたと同時に、チェロがヘビメタのギターの音色とフレーズを真似てそっくりな演奏をし始めたのには驚かされた。その前の演奏を聴きながら、ギターがいてもいいかも・・・とか、ちょうど考えていた時だったからなおさらだ。
 それに加え、エルノが長髪をグルグル振り回し、ヘビメタ度、さらにUP!!!

 演奏は迫力満点、ステージも楽しく、大満足で会場を後にしたのだった。

 そうそう、もう一人(?)紹介するのを忘れていた。
 それは、、、テルミン!!
 
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BANG GANG というアーティストはご存知? [音楽]

 インターネットを無条件に賞賛するつもりはまったくないが、少なくとも「検索」と「情報」については、ずいぶん便利になったものだと認めざるを得ない。昔なら一家に1セット必ず常備されていた百科事典が姿を消したのも、ネットの「検索」機能の充実にある。ありがとうGOOGLEなのだ。

 なんでこんな枕(=前振り)をするのかというと、今回紹介するBANG GANG なるアーティストを発見するキッカケがYouTube であったこと、そしてCD購入に際しては amazon を利用させていただいたこと、それも国内ではなく、2枚の内の1枚は外国からであったこと、これらは今だから普通に可能だが、ひと昔前ならちょっと大変だったはず。なので、やっぱり、ありがとうインターネットなのだった。

                              ★

 そのYouTubeで偶然目にしたのが『I know you sleep』という曲で、闇夜の中をドライブするカップルの男の方がどうやら吸血鬼のようで、彼の異変に気づいた少女が逃げ、彼が追いかける、単純にそれだけなのだが、ラストに? というエンディングが用意されていて、ちょっと後味が悪い。
 その男こそBANG GANGのボーカリスト、バルディ・ヨハンソン。名前を見て分かる通り北欧系、それもアイスランドの人。BANG GANG はそんな彼のソロ・プロジェクトとしてこれまでに2枚のアルバムを発表している。
 ストレートの金髪にメガネという、まるでひ弱な文学青年(死語!)を絵に描いたようなバルディ君の容姿(たぶん狙ってるんだと思う)が、どこかアブナげで、あまりお友だちになりたくないタイプだったりするものだから、先に紹介したビデオ・クリップでも、妙にハマっているのがなんとも・・・なのである。


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                         『Something wrong』(2003)

 BANG GANG としてのデビュー・アルバム。とはいえ、バルディ・ヨハンソンがこれまでどんな活動をしていたのかは分からない。少ない資料によると、プロジェクトゆえの強みを生かし、ケレン・アン、フィービ、エステ-ル、ニコレット、ダニエル・アグストからなる豪華な女性ボーカル陣を配し、その間に自分もボーカルを取るというスタイルになっている。
 多彩な女性ボーカル陣を起用したにもかかわらず、全体のトーンにはしっかりと統一感があり、それも含めてBANG GANG = バルディ・ヨハンソンの音楽になっているのはさすが。
 このアルバムからはシュープリームスの大ヒット曲、「Stop in the name of love」のカバーがシングル・ヒットしている。BANG GANG が一躍注目されたのはこの曲があったおかげ。


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                     『GHOSTS FROM THE PAST』(2008)

 昨年発売されたにもかかわらず、すでに入手困難になっている2ndアルバム。ちなみに amazon では、な、なんと4000円以上の値が付けられている。
 1作目よりはだいぶバンドっぽい音作りがなされていて、ここでもゲスト・ボーカリストはいるものの、ほとんどはバルディ自身がボーカルを取っている。このアルバムからは先に挙げた「I know you sleep」、色っぽい姉ちゃんが大々的にフューチャーされたミュージック・ビデオがかなりいい「The world is gray」がシングル・カットされた。哀しき(?)北欧人の血ゆえか、けっこうネガティブな曲が多いのは前作と変わらない。それでも虚無感の向こうにほのかな希望のようなものが垣間見られるのが救いだ。

 「The world is gray」

 君は真夜中に目覚めて、こう感じる
 自分を取り巻くこの世界が単なる幻に過ぎないと
 今という確かな実感が見出せないから、心の奥に抱えるあらゆる悩みや虚しさを追い出そうとする

 ※世界は灰色
  そして君はずっとひとりぼっち
  たぶん誰かがそこから救い出してくれるのかもしれない
  でも、心にポッカリと開いた穴が、君を落ち込ませる
  だから君は自分が立っていられる大地を探し続ける
  探し続けるんだ

 君は部屋の明かりを見上げながら、こう感じる
 なんだ、簡単なことなんだ
 過ぎ去った過去の呪縛から逃れて
 別の人生を生きれたら幸福になれるんだと
 別の人生を

 ※ (繰り返し)

 太陽は雲の向こうで輝き
 君は太陽が雲を焼き払うのを待っている
 きっと良い方法が見つかるはず
 それまでは暗闇に囚われていようとも
 君がそこから逃げ出すまでは

 ※ (繰り返し) 
                                                       (訳 TAO)     

タグ:ロック
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『ベルリオーズの幻想交響曲』(ドホナーニ指揮) [音楽]

 クラシックの名盤を紹介した本が数冊、我が家の本棚にちんまりと収まっている。
 その道の大家の方々が、ある曲に対する自分のお薦めCDを紹介する、まあ、ごく普通の内容なんですが、読み進めて行くうちに、どうも選ばれた演奏に法則性のようなものがあるのに気が付いた。

 それは、
 ①自分の一番多感な時期に、ということは、すなわち青春時代に感銘を受けたものが、生涯のベスト演奏の座に収まる確立が非常に高いこと。
 ②3人いればそのうちの2人は、だいたい同じ演奏を紹介していること。
 ③また、別の演奏を紹介している方も、先に選ばれた演奏に対してはやっぱり最高に近い評価を下していること
 ④クラシックに対して過剰な思い入れがあり、それが時として誇大妄想の域にまで登りつめること(笑)
 
 まるで入試の<傾向と対策>のように、パターンが読めてしまい、最後は水戸黄門の印籠じゃないけれど、また言ってる! と、ついニヤニヤしてしまうことになるのだった。

                              ★
 
 『ベルリオーズの幻想交響曲』の場合は3者が異なる指揮者を挙げていたのでこれには当てはまらないものの、やはりと言おうか、定番中の定番として予想通り真っ先に挙がったのが、ミュンシュ指揮 パリ管演奏の67年録音のものだった。
 この曲は副題に「ある芸術家の生活の挿話、5話からなる幻想交響曲」とあるように、全5章それぞれに物語が設けられている。
 ベルリオーズの分身としてのある芸術家が理想の女性に出会い、恋をする。ところがどんなに激しく恋焦がれても、彼女は振り向いてくれない。どこに身を置いても彼女の幻影に追いかけられるのが苦しくてしょうがない。
 孤独感に打ち砕かれ、芸術家は阿片を飲んで自殺を図る。朦朧(もうろう)とする意識の中で、彼女を殺してしまったと勘違いし、死刑を言い渡された彼は断頭台にかけられてしまう。そして、自分の葬儀に集まった魔女や魔物がグロテスクな宴を催すのだった。

 確かにこの曲には、舞踏会のロンドあり、達観したような静かな楽章があり、それとは正反対の断頭台に向かう行進曲あり、さらに魔女たちの宴ありと、色々な要素がてんこ盛りの、まるで豪華な幕の内弁当ような作りになっていて、聴く者を魅了する。
 題材が失恋野郎の妄想物語ゆえ、おのずから演奏内容はバラエティに富む。指揮者の考え方がはっきりと演奏に出るからだ。

 評論家諸氏が真っ先に挙げるミンシュ盤は確かに熱演だとは思う。時に金管楽器がブゴブゴと下品な音を立ててグロテスクな描写に拍車をかける。
 ただし、これを麻薬による幻覚と捕えるべきなのかはまた別問題で、どちらかというと麻薬よりはアル中の戯言のように思えるのはボクだけだろうか? 目を充血させて唾を飛ばしながら喚(わめ)きたてる無精ひげの汚らしいアル中、そんな感じなのだ。

 麻薬には狂気が付き物。ならば喚き立てるだけが能じゃないだろう。そうお思いの方にはぜひこちらをどうぞ。
 クラシック界ではまったく無視されている理数系指揮者、ドホナーニが手兵のクリーブランド管弦楽団を振った1989年録音だ。
 先のミンシュ盤に比べると天と地の差、アフリカと北極ほども違うその表現に、ピンク・フロイドの初期メンバーであるシド・ヴァレットのどこか遠くを焦点の合わない目で眺めている写真を想い出す。まったく熱くないのである。絶対0度の演奏からは確かにヘロインが毛細血管の末端まで行き渡ったような、体温は下がっているのに感覚だけが異様に鋭さを増したような錯覚を起こさせる。
 演奏はひたすら美しい。極端に純化された音だけがそこにある。血が流れても痛みを感じないような、そして今なら微笑ながらグサッとナイフを相手の腹にさせるだろう冷静さ。こんな演奏があっていいのだろうか?

 どちらの演奏が良い悪いではなく、人の感じ方はかように異なるという実例。
 ならば自分だけの名演が存在したって一向に構わないはずだ。99人がクズと判断しようと、残りの自分一人が強烈に指示するそんな演奏に触れるのもまた楽しい。
 と言うか、今やクラシック、いや、音楽の聴き方はそこにしかないのかも知れない。
 
タグ:クラシック
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ドゥービー・ブラザーズ&デレク・トラックス・バンド、夢の競演ライブ!! [音楽]

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 ライブに接していない、、、それもかなりの期間。
 それというのもチケットの高騰で、今や外国のミュージシャンなら12000~13000は当り前。これじゃあおいそれとは行けませんて。
 それでも昨年生に接して激賞しhたデレク・トラックスの再々来日、それもアメリカン・ロックの重鎮、ドゥービー・ブラザーズも一緒にやって来るっていうんだから、これは行かねば男が廃(すた)るとばかりに、行って来ました!

 9月25日(金)、場所は国際フォーラム。チケットは前から7~8番目のほぼ中央という絶好の位置。
 これじゃあ嫌が上にも期待が高まりますな!!!

                              ★

 7時ジャスト、まずはデレク・トラック・バンドの登場!
 金髪の長い髪を無造作に束ね、農場の仕事をたった今終えてきたような格好でおもむろにギターを掻き鳴らせば、最初の一音からブルっと背筋に電流が走る、、、はずだったのに、どうもおかしい。なんか違うのである。
 残念ながら演奏を聴き進んでも、その違和感は最後まで消えることはなかった。

 その理由を列挙すると、
 ①ホールの音が悪すぎる。
 これがコンザート・ホールかと疑うほど音がこもっていて、まるで風呂場で演奏しているような感じなのだ。すべての音は客席ではなく、天井に向かって伝わるようで、演奏と音が別に流れているような錯覚に襲われた。本当に音楽ホールとして設計されているのだろうか?
 ②デレクのワンマン・バンドとしての限界
 良くも悪くもデレクありきのバンドではあるが、バンド内にデレクを脅かすような存在が皆無。バンドに緊張感がないのだ。イエスマンだけを集めた中小企業の役員を見るようだ。
 クリームの例を出すまでもなく、クラプトン以外にも、ジンジャー・ベイカーやジャック・ブルースの存在があったからこそのクリームだったのは周知の事実。
 ③オリジナルがつまらない
 ③キャッチーなリフやサビを持つアホっぽい曲がない。
 レッド・ツエッペリンを想い出していただきたい。御幣を恐れずに言えば、彼らの曲などいかに格好良いリフを決めるかだけを考えたようなものだ。で、これが案の定格好良いのだ。
 なので盛り上がる曲はオールマンの取り上げた曲だったり、クラプトンの曲だったり、ブルースだったりする。ここにオリジナルが割り込んで来ないと厳しいと思う。

 じゃあどうするか?

 一端バンドを離れ、ソロ名義で、ちゃんと敏腕プロデューサーを立て、凄腕ミュージシャンをゲストに向かえ、緊張感に溢れた雰囲気の中、武蔵と小次郎の死闘のような、お互いがガップリ四つに組んで引かないような重量級のアルバムを作って欲しい。
 これではせっかくの天賦の才が死んでしまう。それはアメリカン・ロックにとってとんでもない損害だ。

                              ★

 さて、休憩をはさんで、いよいよ大御所のお出まし。
 ツイン・ドラムも重量感たっぷりだが、やはりなんと言っても、始まるや否やステージにズラリと並んだドゥービーの面々。
 サックス、キーボードも含め、いかめしいオヤジ面6人、これほどくどいものはない! でも、それがいいのだ!
 まるで「納豆」と「クサヤ」と「パクチー」と「八角」と「温泉たまご」と「ナンプラー」が勢揃いしたような光景に、思わず目を塞ぎそうになる(笑)
 長年に渡って培ってきたパフォーマンスはやはり伊達ではなく、オープニングから観客の心をグッとわしづかみ!
 街から街へと長いツアーを俺たちは何十年にも渡ってこなして来たのさ、、、とでも言いたげな貫禄が随所に発散され、ついこちらも興奮してしまうのだった。

 ツイン・ドラムの重量感、トリプル・ギターの丁々発止、そしてファンキーなベース、どれを取ってもやはりドゥービーは凄かった!!
 来年には何とニュー・アルバムが発売されるそうで、そこから新曲を一曲披露するオマケ付き。
 オヤジたち、まだまだ元気なのである(笑)

タグ:ロック
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「アイ・アム・ア・ロック」(サイモン&ガーファンクル) [音楽]

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                       『サウンド・オブ・サイレンス』(1966)


 神なき国の、愛なき民族の、唯一信じられるものはやっぱりお金。
 お金は嘘をつかない。
 確かにその通り。
 そんな世の中誰がした?
 そう、ボクら、大人がしたんでしょうね。

 悩み多き少年たちに偽りの充足を与え、空虚な言葉の数々で信用させる。
 30歳以上は信じるな!
 ボクが少年だった頃、みんなそう思っていた。

 誰だって悩みはある。
 特に10代においては。
 愛情は必ずしも報われるとは限らないと知った夜、ぼんやりと天井を見つめながら、心の痛みにじっと耐えた。
 誰もいない部屋の電気を消すのが怖くて、朝まで点けっぱなしでいた。
 気が付くと朝になっていた。
 
 誰にだって思い当たるはずだ。
 そんな日々もあったことを。

 音楽だけが唯一の救いだった。
 それだけが自分をギリギリ支える命綱となるたったひとつのもの。
 心の襞に分け入り、そっと隣にいてくれる。
 ・・・それだけで、苦しい胸の内が、一時楽になった。

 10代の頃、そう、ちょうど中学2年生あたりから高校にかけて、よくこの歌を聴いたものだ。

 「アイ・アム・ア・ロック」

 冬の
 薄暗い12月
 ボクは一人
 部屋の窓から
 舞い落ちる雪に覆われた通りを見下ろしている
 ボクは岩
 ボクは島

 壁を作った
 絶対に壊されないくらい
 頑丈で深くて広い壁
 友情なんて必要ない。そんなの苦しいだけだから
 それはボクの大嫌いな、高らかな笑いと親愛の証
 ボクは岩
 ボクは島

 <愛>なんて語らないでくれ
 でも、その言葉は昔、耳にしたことがある
 それは記憶の中で眠っていているのだから
 すでに死に耐えた感情なんかに、心を掻き乱されたくもない
 愛さなければ、決して泣くこともない
 ボクは岩
 ボクは島

 ボクは何冊かの本を持っている
 ボクを守ってくれるお気に入りの詩
 そして鎧のような防具で遮断された
 自分だけの部屋に、安全にかくまわれている
 誰にも触れはしないし、誰にも触れられることもない
 ボクは岩
 ボクは島

 岩は痛みを感じないし
 島は決して泣かないんだ
                                                   (訳 TAO)

 最後の2行で、主人公であるボクの哀しいほどのやせ我慢が吐露される。
 ここには安易な<連帯>も<慰め>もない。
 <同情>も<愛>もない。
 それでも、主人公が取らざるを得なかった、必死の<対処法>がある。
 ボクは岩
 ボクは島
 そう思うことで、なんとかこの世界との接点を捨てずにいられる。

 <同情>は時に<死>と同義語となる。
 だから<同情>など必要ないのだ。
 今、本当に必要なのは《一人で生きる強さ》なのだから。
 一人、山の頂に立ち、天空を見上げる覚悟こそ・・・。
 
タグ:ロック
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『星空のステージ』(ポルナレフ・イン・U.S.A) [音楽]

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                 『星空のステージ/ミッシェル・ポルナレフ』(1975)


 2007年末、突如のフランス凱旋公演、それも実に34年ぶりということで本国はおろかここ日本でも話題をさらったミッシェル・ポルナレフ。
 そのライブ映像についてはまた改めて触れるとして、ここでは1975年に発表された『星空のステージ(原題:MICHEL POLNAREFF)』を紹介したい。

 マネージャーの脱税事件もあり、フランスを抜け出したポルナレフは単身アメリカに乗り込み、わざわざ自分の名前をタイトルにしたアルバムを発表する。内容はアメリカ市場をにらみ、当然全曲英語で録音された。
 また、L.Aを中心に活躍するなうてのスタジオ・ミュージシャンを大胆に起用するあたりからも、ポルナレフの並々ならぬ熱意がヒシヒシと感じられた。
 しかし、結果は惨憺たるもので、結局、全米チャートの100位にも入らなかった。

 『ポルナレフ革命』(1973)でファンになってから、時代を遡って聴きまくった早熟少年のワタクシにとって、フランス語の響は未知なる原語としてとても魅力的であった。
 同時期、フランス映画(アラン・ドロン、トリフォー、ブリジット・バルドー、イザベル・アジャーニ、禁じられた遊び、冒険者たち、ルイ・マル等)の影響、そしてポルナレフ以外にも個性溢れるフランスの歌手たち(セルジュ・ゲーンズブール、ジェーン・バーキン*、フランソワーズ・アルディ、ジュリアン・クレール、ジャック・ブレル等)にも魅せられた時期だった。
 そんな中で、一人フランスからアメリカへ飛び出してゆくポルナレフが、無謀ゆえ、とても魅力的に見えた。

 しかし、発売されたばかりの『星空のステージ』に針を落としてみたものの、どうもこれまでと勝手が違うのだ。それはいったいなんなのだろうと考えるに、フランス語と英語の言葉の違いはもちろんありはするが、そんなところではなく、ポルナレフのボーカルというより、バックの音に強い違和感を感じてしょうがなかったのだった。
 フュージョン系ミュージシャンの出す大味な音とポルナレフのボーカルがまるで水と油。それに合わせたかのように曲自体もどこか繊細さを欠いていて、音同様に大味になってしまっているような気がする。

 そしてもう一つ、アメリカ人リスナーの立場に立ってみると、ロックではないし、単なるポップスでもない、ましてやシンガー・ソング・ライターとも違う、なんとも形容し難い音に聴こえたのではないだろうか? 隠し味にカントリー・テイストの音をはさんでみても、当然の如くまったくの別物だし。
 料理に例えるなら、ビッグマックかな? でもちょっと新発売だし怖いけど食べてみようかな、パクッ! ん? なんじゃこりゃ、の、ライスバーガー、きんぴらごぼう入りみたいな。それでもってケチャップもピクルスもはさまってないし・・・。
 たぶん、初めてこのアルバムを聴いただいたいのアメリカ人はそう思ったに違いない。アメリカでレコーディングし、全曲英語、L.Aの凄腕のミュージシャンが演奏していても、まったくアメリカの音ではないからだ。フランスなまりの強い英語、でもそれって意味はわかるけどちゃんとした英語じゃあないよね・・・。

 権利関係の問題で長らくCD化されなかたポルナレフの作品を数十年ぶりにこうして聴き直してみると、こちらも精神的に多少は大人になっているので、当時のようにそれほど目くじらを立てることもなく、随所に垣間見られるポルナレフ節がけっこう気持ちよく思えて、年を重ねるのもあながち悪くもないか・・・とか、別の意味で感心してしまうのだった。

 PS.ジェーン・バーキンはイギリス人ですが、ゲーンズブール(今はゲンズブールですかね)との諸作(私生活共々)を考えると、フランスのアーティストと考えるのが妥当だと思います。

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『Gryphon』(英プログレ・トラッド・バンド) [音楽]

 70年代初頭~後半にイギリスで活躍したプログレ・トラッド・バンド(?)、グリフォンの2 in 1CDを中古で発見。値段もまあまあ手頃だったので、興味本位で購入してみた。
 収録されているのは、
 『Gryphon』(1973)
 『MIDNIGHT MUSHRUMPS』(1974)
 の、1st & 2 nd。
 ちなみに次の3枚目のアルバム『Red Queen』(1974)が、一般的には彼らの最高傑作と呼ばれているらしい。

 さっそく聴いてみると、

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 『Gryphon』:のっけからピッコロのような高音を発する笛の音にビビる。それに追随するベースの役割を担う低音の木管楽器。例えるならバスーンのような感じ。いったいこれはなんだろう?
 そこにギターとオルガンが絡む。う~ん、こりゃあ、プログレのプの字もありませんな。
 アイリッシュならエンヤのような美声の女性ボーカリストがいたりするもんだが、こちらは野太い男性の素人っぽい歌声が響き渡る。
 あまりにベタで田舎臭さが充満した音楽。このバンドには "洗練" の2文字は不要らしい。日本食で言えば「なっとう」とか「くさや」の類か。好きな人には好きなのだろうが、一般的には、、、ないと思います!

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 『MIDNIGHT MUSHRUMPS』:先のアルバムが全11曲だったのに対し、こちらは、な、なんと、6曲。ジャケットを見るとどうやらメンバーも一人増えたようだ。
 オープニングはオルガンを大々的にフューチャーした、イギリスの深い森をさ迷うような何やら怪しげな響。確かにプログレっぽい雰囲気を漂わせていて、導入部としてはいい。
 2曲目は、、、1枚目に見られたようなトラッド。しかし、ずいぶんと音が洗練されているので、けっこう聴き易い。以降、あの独特な笛の音は健在なれど、アコースティック・ギターの多用や、より中世音楽っぽくなった感じや、プログレ特有の転調の繰り返しが厚めのバンド・サウンドとして展開されるのが格好良い。

 こうして2枚のアルバムを聴いてみると、
 ど田舎から上京して来た素朴な男たちが、馬糞の臭いを周囲に撒き散らしながら、気持ち良さそうに音を奏でていたが、周囲を見回すと洗練されたトリッキーなバンドの多さにびっくりして、こりゃあいかんと、たわしでゴシゴシ身体を洗い、洋服もクリーニングに出した物に着替え、プログレ畑に種を植えに行きました。めでたし、めでたし・・・。
 そんな感想を持つ。

 そしてこの後、最高傑作と呼ばれる3枚目に到達するのだった。
 ただ、「なっとう」も「くさや」も慣れれば美味しく感じるもので、洗練されればされるほど、かえってドロ臭い "あの感じ" が懐かしく思われるのは皮肉というか、こちらのわがままというか。
 まあ、こんなバンドがいてもいい。それにしても60年代後半~70年代のプログレ界はある意味なんでもありで、かなり面白いのだが、それを追いかけるにはけっこうお金がかかるのが痛いけど(笑)

タグ:ロック
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『で、このあばずれは誰?』(マリーナ・ショウ) [音楽]

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              『Who Is This Bitch, Anyway? / MARLENA SHAW』(1975)

 なんとも下世話なアルバム・タイトルですな。
 『Who Is This Bitch, Anyway?』、、、直訳するとタイトルのような意味になります。
 歌っているのはマリーナ・ショウ。
 ということは必然的に、あばずれ=マリーナ・ショウとなって、デビュー・アルバムのタイトルとしてはこれ以上のネーミングはないくらい、どんピシャ!
 まったく、いいセンスしてますな、脱帽!!

 マリーナ・ショウは一般的にはソウル・シンガーですが、デビュー・アルバムがジャズで有名なブルーノートから発売されているのを考えると、ジャズ寄りのソウル・シンガーといった立ち位置だったのかもしれません。簡単に分類してしまうと、クロスオーヴァー&フュージョン系の歌い手といえば分かりやすいでしょうか?

 オープニングの「STREET WALKING' WOMAN」からして、ニューヨークのバーで語り合う男女の様子が、リアルに再現されていて格好いい。
 店のざわめきやグラスが当たるカチン!という音をBGMに、テーブルを挟んで向かい合う、もしくはカウンターで隣同士肩を寄せ合う男女の、お互いの心の内を探り合うような(想像ですが)会話が、何やら意味深で、あらぬことを勘繰ってしまいそう(笑)
 「ねえ、あたしんちで飲み直さない?」
 「それも悪くないね・・・。近いの?」
 「ほんのここから数ブロック・・・」
 ・・・なんてね!
 いいなあ。惚れ惚れするなあ。

 2曲目の「YOU TAUGHT ME HOW TO SPEAK IN LOVE」は曰く付きな作品で、あれ、このメロディー、どこかで聴いたぞ? と、思ったら、な、なんと、「愛しの〇リー」にそっくり!
 いやいや、きっとワタクシの聴き違いでしょう(笑)
 なにはともあれ、名曲です。ぜひ一聴くをお薦めする次第です。

 4曲目の「FEEL LIKE MAKIN' LOVE」は、ロバータ・フラックの名唱でも有名な、70年代のスタンダードとなった超有名曲。
 ロバータ・ヴァージョンはもちろんですが、マリーナ・ヴァージョンもけっして負けてはおりません。70年代ソウル・ミュージックがいかに良いメロディーの宝庫だったのかを伺わせる傑作だと思います。

 バックを受け持つ演奏陣も、デヴィッド・T・ウォーカー、チャック・レイニー、ハーヴィー・メイソン、ラリー・カールトン等、一流どころがわんさかと参加していて、フュージョン風の演奏ながらツボを抑えた音作りで、マリーナの歌声をバッチリとサポートしていて好感が持てます。
 一般的にも名盤の誉れ高いこの一枚は、すべての音楽好きにお薦め出来る自信作であります。

タグ:ソウル
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